震災を経てコンテストに挑みアジアNo.1へ  逆境の連続を乗り越え続けた唯一無二の道 SYUK kazuのびよう道

 


美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代です。もちろんそれも良いですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があっても良いかもしれません。

 

「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修行時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。

 

数々のヘアデザインコンテストで結果を残してきたSYUK(シュク)代表のkazuさん。家族が被災した大震災を経て、葛藤しながらも挑戦を重ね、アジアNo.1やJHA準グランプリを獲得してきました。そして今、SYUKの基盤を固めながら100人の仲間を育成する展望を持つkazuさんに、修業時代の苦労や転機、そして20代美容師へのメッセージを伺いました。

 


 

実力主義の世界で始まった修業の日々

 

 

僕の原点は、修業時代にあります。最初に入った老舗の理容室では、常に同期や先輩と8人ほどで練習をしていました。

 

朝6時に店に行き掃除を済ませてから朝練、営業中も合間を縫って技術を磨き、営業後は夜遅くまで練習。住んでいた寮の地下では同期や後輩と練習会を行い、休みの日もサロンを開放して朝から晩までハサミを握っていました。当時の僕は「日本で一番練習している」と思っていましたね。

 

そのサロンは実力主義の世界で、テストに合格すればランクが上がり、先輩を追い抜くこともある。逆に抜かされる側にとっては大きな屈辱。だからこそ誰よりも早く店に入り、誰よりも長く練習を続けました。体は常に疲れていましたし、思うように上達できず苛立つこともありましたが、「できなければ落ちていく」という空気の中で手を止める選択肢はなかったですね。

 

 

当時はスマホもSNSもなく、情報源は雑誌や、美容業界誌だけでした。当時は誌面で輝くカリスマ美容師を羨望の眼差しでみつめていましたね。「自分もああなりたい」「日本一になりたい」。そんな憧れが原動力で、のちに転職を経験することになったんです。業界のトップを行く美容師は美容だけではなく、ファッションや音楽などに精通した多才で、若い美容師さんたちの憧れの存在でした。でも彼らが注目されるのは、前提として確固とした技術があるから。最終的に尊敬を集めるのはやはり仕事で結果を出す人。だから僕は「まずは技術を磨き、結果で示せる美容師になる」と自分に言い聞かせていました。

 

カリスマ美容師のDVDに導かれ、美容のメッカ表参道へ

 

 

3年ほど修業し、営業でもコンテストでも結果を出せるようになったころ、僕は美容の世界の最高峰に挑戦することを決めました。きっかけは上司が、カリスマ美容師のDVDで、技術を勉強していたことです。そこに映る美容師たちは、僕の知る世界とはまるで違っていました。もっと上を目指すには、そのサロンに飛び込むしかないと確信したんです。

 

表参道のトップサロン美容室に入ってからは、前社とは異なる厳しさがありました。技術が上手いだけでは足りない。仕事の仕方や見せ方まで含めて「表現」する力が求められました。デビュー経験がありながら再びシャンプーや受付からやり直し。「もっと上手くなりたい」という思いだけを支えに必死で食らいついていました。

 

>東日本大震災がもたらした人生の転機

 

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