“認められたい“という想いが、原動力に。broocH・正村優佳さん─天職WOMAN─

表参道のbroocH(ブローチ)で、都会的なパーマヘアを提案し、多くのお客さまから支持されているスタイリスト・正村優佳(まさむらゆうか)さん。
新卒で入社して今年で8年目、今ではサロン内で新規指名数ナンバーワンの存在です。入社当初に掲げていた「30歳までに売れる」という目標を早々に達成し、第一線で活躍を続けています。
学生時代にはコンテストで8度の受賞を果たし、入社後も撮影や作品づくりに意欲的に取り組んできたという正村さん。そんな正村さんの下積み時代の経験を中心に、今に至るまでの成長の道のりを聞きました。
美容師になった原点と、broocHへの道

私は高校生の頃からファッションやヘアメイクに興味があり、 服をリメイクしたり、文化祭では周りの子のヘアアレンジをしたりしていました。一度は周囲の流れに乗って大学受験をしましたが、合格した後に「やっぱり違うかも」と感じたんです。進路決定の期限が迫った2月、思い切って美容の道に進むことを決めました。
本当にギリギリになって進む道を変えたので、受験できる学校はごくわずか。そのなかでようやく見つけた名古屋の3年制の専門学校に入学しました。とにかくクリエイティブな活動が好きで、撮影に夢中の学生時代でしたね。2年生の終わり頃からはたびたび東京に出て街でモデルを探し、撮影を重ねました。衣装選びも含めて、すべての工程が楽しくて仕方なかったです。3年生になってからは「今年出場する8つのコンテスト全てで受賞する」という目標を掲げて無事に達成。今思えば、この時期に“やりきる力”が鍛えられたのかもしれません。

broocHを知ったのは雑誌がきっかけです。当時のディレクターの柳さん(現Srawディレクター/柳亜矢子さん)が手がけたヘアスタイルを見て「この人が作る世界観が好きだな」と感じ、サロンを訪問してみることに。その時に持参していた自分の作品をまとめたポートフォリオを見せたところ、本来なら実施していないインターンのチャンスをいただけました。実際にサロンワークを体験し、現場の空気を肌で感じたことで「ここで働きたいかも」と思うようになったんです。
ただ、その頃の私の第一志望は別のデザインサロン。なので一度はbroocHへの入社を断ったのですが、オーナーと話すうちに気持ちが動き、第一志望のサロンの内定を蹴ってbroocHに入社することにしました。あの時の決断は、まさに人生を変える大きな選択だったと思います。
「自分はもっとできる」アシスタント2年目の転機

アシスタント時代の私は、変にプライドが高くて自分の正解を押し通そうとするタイプ。感情もすぐ顔に出るので、先輩にとっては扱いづらい後輩だったと思います。
気持ちが荒れて練習をさぼったり、朝まで友人と飲んだり、頻繁に名古屋の実家に帰ったり…。シャンプーもパーマも一番レッスンの進みが遅く、毎日のように怒られて泣いていました。それでも当時から「30歳までに売れる」という目標をずっと持ち続けていて、辞めたいと思ったことはありませんでしたね。
転機になったのは、2年目でパーマのテストに合格し、作品撮りができるようになったこと。そこからは火がついたようにモデルハントに夢中になりました。休日も街に出てモデルを探し、撮影のときに先輩にモデルを提供できるようにもなって。その頃から「認められたい」という気持ちが行動の原動力になり、少しずつ周囲から評価されるようになったんです。気づけば、自分の居場所ができていました。

もう一つの大きなターニングポイントは、入社2年目の12月。異業界で頑張っている友人と話す中で「あれ、自分はまだ本気でやりきれていないんじゃないか?」と気づいたんですよね。そこからさらにもう一段階スイッチが入り、1カ月の間で8回の作品撮りを敢行。その後はデビューまで毎週、休日に5人のモデルを入れて撮影を続けました。私の性格は「やると決めたらとことん」なんです(笑)。
伸び悩んでいたSNSに変化があったのもその頃です。インスタに投稿したウェーブスタイルの写真がバズり、フォロワーが一気に増えました。私自身も当時は強めのパーマスタイルだったので、その印象が重なって「パーマが得意な人」という認識が広がり、パーマ指名のお客さまが急増したんです。デビュー前の1年で、自分の美容師としての方向性が明確になっていった感覚でした。
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