ベーシックはハートで作る。美容業界のレジェンド、PEEK-A-BOO川島文夫 が示す美容師の仕事の本質-soucutsの庭Vol.3-

プレイヤーとして、クリエイターとして、そして経営者として。美容業界の第一線で、長年にわたり八面六臂の活躍を続けるLECO代表・内田聡一郎(うちだそういちろう)さん。
内田さんが、2026年から新たにスタートさせたのが、Podcast「soucutsの庭」です。大御所から同世代、さらには若い世代まで。幅広い層から美容師をゲストに迎え、今考えていること、そして普段はなかなか語られることのない“思考の奥”までを、MCである内田さんがじっくりと引き出していきます。リクエストQJでは、そのPodcastの模様を記事としてお届け中!
第3回のゲストは、美容業界の偉人の一人、PEEK-A-BOO(ピーク・ア・ブー)代表の川島文夫(かわしまふみお)さんです。愛弟子である、内藤寛人(ないとうひろと)さん、栗原貴史(くりはらたかし)さんも今回は飛び入り参戦。川島さんのドラマチックな海外時代のお話や、美容師の仕事論、さらに「ベーシック」についてなど、とことんお話ししていただきました。今もなお現場に立ち続ける川島さんの金言続出の、珠玉の回です。
77歳、なお通過点。「生涯現役」という哲学

内田:今回のゲストは、僕が尊敬してやまない、川島文夫先生です!よろしくお願いします!
川島:よろしくどうぞ!
内田:PEEK-A-BOOの川島文夫先生が、僕のラジオ番組に来てくれるのは奇跡に近いって思ってるんですけど。まず先生が、僕を認知してくれてるのか問題っていうのがあって。あの…知ってましたか?
川島:知らない!(笑)
一同爆笑
内田:あっ、多分、ちゃんと覚えられてないんじゃないかなと思ってて(笑)。何度かお会いさせていただいて…。
川島:昔、松山でコンテストやった時に、輝いた青年だと思ったよ。
内田:覚えてらっしゃいますか! ありがとうございます! あれが、多分10年前の話で。あと、一昨年くらいに実は雑誌の表紙で…。
川島:あ、そうですね! 楽しかったですよ。
内田:その時にも対談させていただいて。SHACHUのみやちくんもいて。僕の反省というか、今日はそのリベンジとしてやらせていただきたいと思っていて。というのも、前回お話した時に、僕は、ほとんど先生の話を聞いてうなずくだけの人だったので…。全然セッションできてなかったなと思って。今回、僕の番組で、僕なりに美容の話をセッションできたらな、という回です。
川島:今回、内田くんとこういうラジオ番組でやるのをすごく楽しみにしてました。今日は、僕個人として、彼の質問をしっかり受けて、丸裸になるという気持ちで来ましたので。日頃思ってる疑問とか、川島文夫について、PEEK-A-BOOについて、遠慮なく聞いてください。
内田:ありがとうございます! 先生と対談することって、今後なかなかないんじゃないかなって。それに先生のちゃんとした肉声でインタビューされているのって、意外とあんまりないですよね? 記事はめちゃくちゃあると思うんですけど。だからかなり貴重な回になるのではと。
川島:そうだね。みなさん、貴重なのでしっかり聞いてください。
一同爆笑
内田:遠慮なく丸裸にさせていただけたらと思っています。よろしくお願いします。
川島:こちらこそ。

内田:今日は僕の中で大テーマを掲げさせていただいていて。ズバリ、「生涯、現役ということ」。ちなみに余談なんですけど、先週行われたヒカリエ(東京・渋谷)のヘアショー。見に行かせていただきました!
川島:見ていただきましたか! いかがでした?
内田:川島先生の「生涯現役」というのがヒシヒシと伝わるステージでした。僕、何回も先生のヘアショー見ているんですけど、自然体というか、飾らないことがかっこいいというのを本当に感じましたね。お世辞抜きに、先生が自然に切って、なおかつ最後のラストメッセージも踏まえて、グッと刺さるものがすごくありました。
川島:ありがとう。
内田:あれは、先生としては集大成的なステージなんですか?
川島:あれはもう、通過点の1点。
内田:通過点!!
川島:(ヘアショーは) 2年に一度とか1年に一度とか、期限を決めてやってるわけではないんですが。まだまだこれからなので。まだ、山を登る8号目くらいなのでね。あと2号分残ってるので。その(登り切るまでの)予備練習だと思ってやりました。
内田:本当にすごいです…。先生は77歳になられたということで、何回も聞かれてると思うんですが、まずこれまでの変遷を辿ってみたいなと。今年で美容師歴は何年になるんですか?
川島:僕は美容師になったのが早かったので、もうすぐ60年です。
内田:60年!!
川島:一瞬ですね。
内田:一瞬!!
「美容で夢を与える」12歳で芽生えた美容師の志

内田:美容業界に入ろうと思ったきっかけは?
川島:僕は、もう12歳の時に美容師になりたいと思ってたんですよ。勉強があまり得意じゃなかったので、自分の身体で表現できるものって何かな、と思った時に美容師がいいんじゃないかと。そもそも美容が好きでした。「美容を通して人を綺麗に、夢を与える」というのが僕の一貫的なテーマですが、その想いは12歳の頃から芽生えました。
内田:美容師に憧れていたんですか? それとも、たまたま美容師という職業に出会った?
川島:美容師への憧れというより、キレイなものを見たり、キレイなものを作ることに憧れてましたね。小さい時から自分の世界を持っていたと思います。
我々の世代はちょうど文化の変革期で、戦後、日本の美容が近代美容になった切り替えのタイミングだったと思います。60年代からは、ファッションも音楽も、今の土台となっているものが一番多く出てきたんですね。その頃の僕は、まだただの憧れですよね。とにかくキレイにしたい。でも、そのための手段はわからない。それでも、夢だけはあった。いわば夢見る少年でした。振り返ると、あの頃は、キレイになるための助走期間だったんだと思います。
内田:ちなみに先生は、ご自身の髪型も当時からいろいろメイクアップするのが好きな少年だったんですか?
川島:若い頃はみんなと同じですよ。ロングヘアにちょっと憧れてみたり、髪を染めてみたかったり。そういう、誰でも一度は考えるようなことを普通にやってきました。
内田:じゃあ先生の少年時代、10代や20代の頃は、髪型も含めてかなりファッショナブルだったんですね。
川島:そうですね。僕らの青春時代は、やっぱり「アイビー」が一番のトレンドでした。髪も七三に分けたり、今で言うプレッピースタイルのような、いわゆる正統派ですね。
ただ、それって自分で決めるというより、「その時代はそれが良い」とされていたスタイルなんです。その次には、やはりその対抗としてロングヘアが出てくる。ロングヘアにも、ちゃんと文化があるんですよ。
たとえばアメリカ西海岸でヒッピー文化が広がると、いわばアンチヘアのような形で、アイビースタイルに代わる“レボリューション”が生まれる。そうやって全体の流れがロングヘアへ向かっていくわけです。60年代、70年代、80年代と、それぞれの時代には必ずその時代の良さがある。僕らの仕事は、それに対抗することではなくて、きちんと受け止めて表現していくことなんだと思います。

内田:なるほどですね。ちなみに先生が美容師になられて、最初はどこかのサロンに入って下積みされたんですか?
川島:僕、あんまり下積みしてないんですよ。独学。
内田:そうなんですか!?もちろん最初は、美容室に一応入ったは、入った?
川島:はい。ただ、最初は、自分で勉強しましたから。
内田:じゃあ、師匠はあまりいらっしゃらない?
川島:師匠は自分です。
一同爆笑
川島:……それは冗談ですけどね(笑)。美容師になった頃は、外国文化の影響をすごく受けていたんです。洋画を見たり、音楽を聴いたりして、海外志向になっていた。でも、そういう環境にいかないと英語も喋れないので、その当時、グラントハイツ(旧米軍駐留地)の中に美容室がありまして。そこで僕は、すぐスタイリストになりました。まあ、自分では“歴史的快挙”って言ってるんですけどね(笑)。
内田:めちゃくちゃ早かったんですね(笑)。下積みはあったにせよ、スタイリストデビューはかなり早かったということですよね。
川島:そうですね。僕、18歳の時にはスタイリストとして頑張ってましたから。英語でコミュニケーションを取りながら、素敵な髪を作っていました。
内田:最初に働かれたところが、海外の方が多い環境だったんですね。
川島:そうです、そうです。日本人のお客さまはほとんどいなかったんですよ。
内田:場所は日本ですよね?
川島:練馬区にあったグラントハイツというところです。今はもう住宅地になっていると思いますけど。
内田:18歳でスタイリストデビューして、そこから数年間バリバリ働かれていたと。
川島:そうです、そうです。どうやったらたくさんチップをもらえるのか、そんなことばかり考えて働いてましたね。
内田:メイクマネーも大事だな、という(笑)。そこから数年働いて、ロンドンに行かれていると思うんですが、それはおいくつくらいの時だったんですか?
川島:20歳の時に行きました。若い頃から「こんな美容師になりたい」というイメージがあったんです。だからそこに向かって一直線に、わき目も振らず、後ろも振り向かず、とにかく前へ前へと進んできた。若かったんでしょうね、ただ走り続けていました。
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