80歳までハサミを持ち続けるイメージが今の僕にはある -風と雲の美容室-

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表参道の有名店PHASEで活躍し、人気美容師の一人として数えられてきたJUNさんが、2016年1月に高円寺で「風と雲の美容室」をオープンさせました。独立にあたり、なぜ表参道を離れたのか、そして、なぜ高円寺に城をかまえたのか、ご本人に聞いてみました。

 

恩は仇で返すのではなく、利子をつけて倍返しするもの

 

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「風と雲の美容室」の開店日の前日、一番大きな花を届けてくれたのは、独立まで20年間、お世話になったPHASEの横手康浩社長でした。この業界、円満退社は難しいと言われています。でも、僕は恩を仇で返すようなことをして、バチバチやり合うのは絶対に嫌でした。横手社長から受けた恩は、利子をつけて倍返ししたいと、一緒に働いている間ずっと考えていたんですよ。

 

そんな僕がなぜ独立したのか。80歳の自分が表参道でハサミを握っているイメージが湧いてこなかったからです。でも、自分がオーナーになれば、生涯現役を叶えられるかもしれない。そこに向けて動き出すなら気力・体力が充実している今だろう、と思いました。それで独立する3年前に、横手社長に想いを伝えたんです。

 

20年ほど同じサロンで働いていましたから、サロンワークでも、撮影でも、教育でもそれなりに影響力を持って働いていました。だから、突然辞めることになったら、サロンに対して迷惑をかけることになってしまう。それだけは避けたいと思って、最後の3年間を自分の影響力を消していくために使いました。

 

撮影の話がきたら後輩に振るし、後輩に何か質問されてもできるだけ違うスタッフに答えてもらう。僕がいなくなっても大丈夫な状態にしたかったんです。

 

横手社長とは何度、肩を組み、握手をしたかわかりません。この関係をずっと続けていきたいと思っていたんですよ。

 

20年働いた表参道を飛び出し、高円寺を選んだ理由

 

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表参道ではなく、高円寺にサロンを出したので、「JUNさん、隠居しちゃったんだ(笑)」と青原時代のライバルたちにいたずらっぽく言われることがあります。そんなとき、僕はこう返します。

 

「まあでも、このなかで最後までハサミを持っているのは俺だから」って。

 

実は僕も、有名な美容師さんが地方で独立したって話を聞くと、同じように感じていたんですよね。「終わっちゃったんだ」みたいに。だけど、今は青原を離れた人たちの気持ちがわかります。終わりじゃなくて始まりだったんだと。

 

思えば、高円寺の駅に初めて降りたその日から、この街でサロンを出すことが決まっていたような気がします。もともと僕は世田谷に住んでいたんですが、引っ越ししようとしたとき、家族で住むのにちょうどいい物件が見つからず、こっちにきたんですよ。出店する場所を探していたときも、吉祥寺や中野、阿佐ヶ谷なども探したのですが、いいところが出てきませんでした。

 

高円寺のこの場所に出した決め手は、家族。子供が二人いるんですが、これまでカミさんに任せっぱなしで、全く育児に関わってこなかったんですよ。家から近ければカミさんも楽だろうし、自分も家事育児に関わる時間を作りやすいと思ったんです。ちなみに、「風と雲の美容室」という名前は、子供たちの名前から一字ずつとってつけました。

 

表参道と高円寺は離れているし、カルチャーも違うけれど、お客さまを綺麗にして帰す、というのはどこでやっても同じだと思っています。

 

>お客様と向き合ってきてよかった

 

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