gricoエザキ ヨシタカさんのびよう道 〜たった一畳の空間から始まった破天荒人生! 夢を叶えたその先にあるもの〜

 

美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代です。もちろんそれも良いですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があっても良いかもしれません。

 

「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。

 

今回は原宿にある有名店gricoのオーナーであるエザキヨシタカさん。20代前半で独立し、オンラインサロン「マルチバース」など、まさに業界の先駆けとしてインパクトを生み出し続けてきた若きレジェンドです。

 

そんなエザキヨシタカさんのこれまでの歩みと美容師としてのポリシー、この先に叶えたいことなどを伺いました。

 


 

上京して2つの有名美容室で同時に働く

 

 

僕の美容人生は、一畳の部屋から始まりました。もう時効だと思うから話しますが、前職のSHIMAに入社したのに、松本平太郎美容室の寮に入れてもらっていました。SHIMAの入社式にも行かず、松本平太郎美容室で1週間くらい働いていましたが、あるとき偶然にも電車で嶋先生に出会い「君は今どこに住んでいるんだ?」と聞かれたのです。

 

松本平太郎美容室の寮に住んでいることを伝えると、先生がお持ちだった物件の一部屋を貸してくださいました。それからSHIMAで働き始めたのです。多分、今僕の話していることの意味がちょっとわからないと思うんですけれど、とにかく破天荒なやつだったってことです(笑)。

 

とにかく、早く一番になりたかったので、同期がブローを練習しているときに、ブローだけではなく、パーマの練習をするとか、必ず1個プラスしてやるようにしていました。ただ、合格レベルに達するまでは大変で、なかなかブローの合格をもらえなかったんですよね。暇を見つけてはブローしていたのに受からなくて「こんなの誰ができるんだ」って思ったこともありました。

 

 

お子さんが生まれたブロー担当の先輩にディズニーランドで買った前掛けをお土産で買っていったら、「合格!」と言われて、なんだそれと思ったことも。理不尽だなと思いましたけれど、いまだにそのときに覚えたブローが活かされているんですよね。「これって無駄じゃないか」とか「なんでこんな大変なことをするんだ」と思ったことが、意外と自分の中に残り続けるんですよ。

 

>尖りすぎの若手時代、美容業界の重鎮に噛みつきまくる

 

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