fifthグループ代表木村允人さんのびよう道 ~堕落から革新へ!超高収益・高還元企業をつくり、幸せな美容師を増やす〜

 

美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代です。もちろんそれも良いですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があっても良いかもしれません。

 

「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。

 

高い志を持ちながらも現実と向き合えなかったフリーター時代。そして、主観的な視点を超えた「俯瞰」の力を学び、スタッフファーストの経営理念を掲げた現在。今回は、fifthグループ代表木村允人さんが美容業界に抱く想いや、飛躍のきっかけについて語っていただきました。美容業界の革命児が歩んできた「びよう道」とは?

 


 

夢だけはデカいダメフリーターだった

 

 

僕は最初に入った店舗で1カ月働いてやめて、その後フリーターを2年半して、それからfifthに入っています。アシスタント期間は5年くらいあったから、スタイリストデビューしたのは28歳で、かなり遅いんですよね。

 

なんというか、仕事に対してちゃんと向き合えない自分がいたんです。あんまり練習もしなかったし、フリーターをしていた分、2年半のビハインドがあったので、同級生がどんどんスタイリストデビューしていくなか、給料も少ないし、仕事もキツイし、未来が不安でした。

 

 

フリーター時代は、専門学校からの同期の龍正也(fifithグループsoigne代表)の家に居候させてもらいながら、渋谷センター街にあるファミレス「イタリアントマト」でバイトしていました。とりあえずそこで働けば、まかない飯を食べられるっていうのが理由です。

 

サロンモデルもしていて、雑誌全盛期だったのでちょこちょこファッション誌にも載せてもらっていたんですよ。いつか成功すると信じてやまなかったけれど、フリーターの時は先のことを何も考えずに、友達や先輩と毎日毎晩のように遊び歩くという具合に、堕落していたんですよね。

 

でも、美容師はやろうと思っていたんです。サロンモデルをしながらいろんな人と出会うなかで、当時のfifthのスタイリストから「うち受けてみない?募集するから」と言われて、受けることにしました。

 

先輩とケンカばかりの生意気アシスタント

 

 

今でこそfifthはグループで230名以上の組織ですが、当時は5人くらい。労働環境も良くないし、社会保険もないし、手取りも少なくて、生活は苦しいままでした。

 

当時アナフィラキシーショックで5日間入院したことがあったんですよ。そのとき健康保険も入ってなかったので、親に頭を下げて払ってもらいました。そういう黒歴史があるから、今はうちのスタッフにそんな思いさせたくないんです。だから労働賃金や対価にこだわっています。

 

後輩が増えてトップアシスタントになったころは「労働賃金や求人を整えないと会社は伸びない!」と喚いては、先輩と喧嘩ばっかりしている生意気なアシスタントでした。

 

 

>「主観・客観・俯瞰でものごとを見ろ!」刺さった一言

 

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