NOOS岩屋真さんのびよう道 〜周りから評価されるようになっても、人の役に立ち続けること。そこからが本番だ〜

美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代です。もちろんそれも良いですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があっても良いかもしれません。
「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。
今回は国内カラーリストの先駆者である、NOOS(ノス)代表の岩屋真(いわやまこと)さんです。昨年、世界47カ国2000名のビューティシャンがエントリーする世界的コンテスト「LIVE FASHION HAIR AWARDS」において、日本人初の「Creative Colourist of the Year」を受賞。世界ナンバーワンの栄冠に輝きました。そんな岩屋さんにも練習が嫌いで仕事に行くのも辛かったというアシスタント時代があったとか。グローバルに活躍する逸材になるまでの「びよう道」に迫ります。
練習嫌いだった僕が大きく変わった、人生の転機

前職の『TONI&GUY JAPAN』に入社した年に、カラーリストとスタイリストの分業制が始まりました。その第一期生としてカラーリストに挑戦した理由は、競争相手が少ないと思ったから。カラーをやりたくて選んだわけではなかったんです。当然、本腰が入っていないのでなかなか上達もしないですし、シャンプーに合格したのは同期で最後。毎日先輩からお叱りを受けて、美容師になったのは間違っていたのか…と何度も考えていました。
そんな下向きのメンタルで働いていたので、体調を崩して1カ月ほど仕事に行けなくなったことがあって。そのときに、同期だった現在の妻が親身に面倒を見てくれて、それを機に付き合い始めたんです。それが、僕にとっては人生の大きな転機になりました。仕事場に行けば彼女に会える、頑張ればかっこいいところが見せられる。初めはそれだけの動機でした(笑)。そこから休日もサロンに行って誰よりも練習するようになりました。そうするうちに「早くデビューして先輩を抜きたい」という気持ちも湧いてきて、その2つのモチベーションで励んだ結果、同期で最速の1年10カ月でカラーリストとしてデビューしました。

その経験から痛感したのは、「なぜそれをやるのか」という理由の大切さです。理由があれば自発的に頑張れるし、力を発揮できる。僕の場合は「彼女にかっこいいところを見せたい」というのが最初のモチベーションでしたが(笑)、きっかけや理由は何でもよくて。なぜ練習をするのか、どうなりたいのか。それを自分で考え、答えを見つけ出すことで、逃げずに乗り越えられるんじゃないかなと思います。

僕はその後、22歳という若さで家庭をもち、23歳で最初の子供に恵まれました。家族ができたことで”仕事をやめる”というボタンはなくなり、前を向いてやるしかなかった。だから目の前の「やるべきこと」をやっていたら、少しずつ必要とされるようになり、いつの間にか周りから評価していただけるようになって。それが今に繋がったのかなと思います。