TOH・石原慎太郎さんの“びよう道” 賢さより情熱を──のたうち回るほど没頭した時間が、未来を拓く

 

美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代です。もちろんそれも大切ですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があっても良いかもしれません。

「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。

夜中までの練習が当たり前だったアシスタント時代。TOH(トオ)代表・石原慎太郎(いしはらしんたろう)さんは寝る間も惜しんで“美容師としての道”を歩んできました。かつてのカリスマ美容師ブームのなかで理不尽に揉まれ、苦しみながらも成長を重ねてきた軌跡は、今では貴重な経験に変わっているといいます。今回はそんな石原さんの「びよう道」を語っていただきました。

 


 

カリスマブーム時代、有名店はすべて不夜城だった

 

 

最近の若い美容師さんが、ちょっとかわいそうだなって感じるのは、「没頭する時間」が少ないから。世の中の流れ的に仕方がないことだと思うけれど、集中して技術と向き合う時間は絶対的に減っていると思います。

 

僕らの若いころは、「何年後にデビューする」っていう具体的な期限を先に考えるような雰囲気はあまりなかった。とにかく、「うまくなりたい」「素敵なヘアをつくれるようになりたい」という気持ちだけでしたね。

だけど今は「何年後にデビュー」「給料はこれくらい」っていう条件が先に来るのが当たり前でしょう?  ただ、やっぱり若いときって体力もあるし、没頭できる時期にしっかり時間をかけて技術を掘り下げた方がいいんじゃないか、と思うんです。

 

 

僕たちの時代は「美容師は夜育つ」と言われていて、実際に夜中まで練習していましたけど、その中での発見も多かったんですよ。もちろん、今それをやるのはどうかとは思うけれどね。でも、5〜6時間、同じ技術を繰り返しやって、「あ、こういうことか」と気づくことがあったりして。だから、時間をかけて試行錯誤するやり方も悪くはなかったなと思います。

 

 

カリスマ美容師ブームの時代って、理不尽なことも多くて、スタイリストの多くがわがままでしたし、「自分のことだけやっていればいい」みたいな雰囲気もありました。そこで揉まれたおかげで、臨機応変に対応できる力が自然と身についたとも言えるんですよね。日中は撮影や営業で手いっぱいだから、夜中に練習するしかない。試行錯誤を重ねるうちに技術やセンスが磨かれていく。それが僕たちの時代だったんです。

 

ちなみに、当時はスタイリストに昇格するのも先輩たちのさじ加減、みたいなところがありました。レッスンでうまくできても、実際の営業でお客さまを仕上げられなかったら意味がない。だから、営業中に先輩に「よかったよ」って言われたら、それが合格という感じ。レッスンでは負けていても、営業中に結果が出せればよかったんです。とにかく現場主義でしたね。

 

>人間関係の摩擦も、美容への情熱に変えていた

 

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