新しい当たり前をつくる―トップサロンを飛び出したREGASEA代表・ハセタク。“すべてを凌駕する”サロンへ

人気メンズサロンの“顔”として活躍してきたハセタクさんが、今年の元旦、共同代表の小松嵜真弥(こまつざき・しんや)さんとともに独立出店を発表しました。このニュースは大きな話題となり、SNSでも「なぜ独立したのか」と、その背景に注目が集まっています。今回は、表参道の新サロン『REGASEA(レガシー)』を訪ね、ハセタクさんにお話を伺いました。学生時代のエピソードからこれまでのキャリア、そして独立に至るまでの思いとは。後半には小松嵜さんにもご登場いただき、新サロンに込めた想いを語っていただきます。
採用倍率42倍。超難関サロンへの挑戦

―元旦に独立出店を発表され、業界でも大きな話題になりました。そんなハセタクさんのキャリアを深堀っていきたいのですが、新卒で入社したときから既に目立つ存在だったそうですね。
その当時の採用倍率は42倍でした。過去最高の高倍率だったらしく、通常は3次面接までのところ、4次面接まであったんです。周りのみんなは目立つことや面白いことをして自己表現していましたけど、僕は特別なことは一切しなくて。面接用の自分をつくることもせず、ただ本気で思っていることを伝えただけなんです。「美容業界のマイケル・ジャクソンになりたいです!」と。
―それはインパクトのある決意表明ですね(笑)。
面接では笑われましたけど、マイケル・ジャクソンってすごくないですか? 子どもから大人まで、彼を知らない人はほとんどいない。木村拓哉さんもそう。だから僕も、そんな美容師になりたいと本気で思っていて。なぜ僕が採用されたのかはわかりませんが、終始一貫して自分に嘘をつかないこと、ありのままの気持ちを伝えることを大事にしましたね。

―いつ頃から美容師を目指していたのですか?
高校2年生のときです。といっても大きな夢があったわけではなく、実は母のすすめでノリで決めたんですよ。僕は幼少期からやんちゃで、親にはかなり苦労をかけました。停学になり、危うく退学にもなりかけ、卒業まで毎朝7時登校で奉仕活動してましたからね。そんな僕でしたけど、人付き合いだけは得意だったので、接客業である美容師が向いていると思ったのかもしれません。
「カリスマ美容師になる」と豪語した以上、有言実行するというプライドはありました。母親が自慢できる男になる——それが当時の指針でしたね。専門学校は、幼馴染に誘われて見学した、原宿の学校に決めました。授業をさぼったこともたまにありましたけど(笑)、青春を存分に謳歌した2年間でした。当時の先生方とは今も交流があります。
「もっとこうしたらいいのに」から「自分でやるしかない」へ

―アシスタント生活はいかがでした?
僕は本当に運が良かったなと思っていて。アシスタント時代からYouTubeに出演させてもらい、Instagramでも取り上げていただき、早い段階で認知してもらえました。先輩方にも恵まれ、仕事はもちろん遊びや世渡り術までいろいろなことを教えていただきました。怒られることも多かったですが、僕は打たれ強いので全然へこたれないんです(笑)。営業後によくご飯に連れて行ってもらいましたし、そこでまた絆が深まって。今でも仲がいいんですよ。
―スタイリストデビューは4年目ですね。
はい、ほぼ丸4年です。当時は早くも遅くもないタイミングでした。その翌年、社内歴代最速でディレクターに昇格しました。この記録は、いまだ破られていません。売上も常にトップ5をキープし、MVPも4回受賞しました。20代半ばで上の景色を見たいと思っていたので、すごく生き急いでいましたね。がむしゃらに走った結果、想像以上のポジションに立つことができました。

―早い段階でさまざまな景色を見たことで、心境の変化はありましたか?
そうですね。早くから多くの経験をさせてもらったことで、「もっとこうすれば会社がよくなるのに」とか、「こうしたら後輩たちが伸びるのに」と、生意気ながらも考えるようになりました。
―それはいつ頃から?
ディレクターに就任した年からです。同世代とご飯に行き、意見を交わし合うようになって。前職が大好きでしたから、代表にも僕は意見を率直に伝えていました。ただ、大きな組織を動かすのは簡単ではないんですよね。僕は社長になりたいという願望があったわけではないですが、純粋に「これを叶えたい」という思いが膨らんでいき、その結果「自分でやるしかない」と独立を決意しました。
