二十歳の頃、どう過ごしてた? Sraw 柳亜矢子さんの二十歳の頃。

─アシスタント時代から、モチベーションもかなり高かったのでしょうか?

 

高かったと思います。仕事はもちろんですが、感性を磨くためにいろんなところにアンテナを張っていました。当時はSNSがないので、音楽もカルチャーも探しにいかないと知れないんですよ。だから、雑誌を買って何周も見て。ファッション誌の後ろに載っている美術館や、写真展の情報をチェックして、行ってみたりもしていました。

 

 

でも、モチベーションがいくら高くても、サロンワークは戦場(笑)。私も毎日いっぱいいっぱいでしたが、運良く池部さんの専属につけたことで、すごく成長できたんですよね。「自分のお客さまだと思って接客するように」と言われていたので、大変さの中でも自分のお客さまだと思ってやらなきゃ…!と思いながら働いていました。

 

─愛のある厳しさだったとは思いますが、辛い、辞めたいと思ったことはありませんでしたか?

 

不思議と無かったです。池部さんは本当に怖かったけど、すごく良い人なんですよ。退社するときも、池部さんの顔を見たら涙が止まらなくなってしまったくらい。ぶっ飛んでるけど、すごくセンスがよくて、今でも私の師匠は池部さんだと思っています。

ただ、1回だけ逃げ出したくなったことはあります。営業中に、先輩のあまりの厳しさに耐えられなくなり、泣きながら帰ろうとしたんです。その時は先輩たちに励まされ、忙しいタイミングだったので池部さんからも呼ばれ…泣き顔でフロアに戻りましたね。今振り返ると「自分、頑張ってたな」とは思います。

 

 

─もともと、メンタルは強いタイプだったんですか?

 

どちらかというと、私たちの世代は落ち込むというより勝ち気だったので、レッスン後に先輩への文句を言いながらラーメンを食べて、励まし合って踏ん張るみたいながむしゃら感がありました。同期に落ち込みやすい子がいたので、表参道沿いでカップラーメン食べて「がんばろうよ」と話したこともあったなあ。

 

二十歳のみんなへ

 

 

美容師人生を振り返ると、自分ではあまりストイックな方ではなかったと思いますが、好きこそ物の上手なれと言うように、とにかく自分の好きなものや、やりたいことを追いかけていました。デザインも、ファッションも、あの頃が確実に今の自分のベースになり、繋がっているように感じます。例えば、ベリーショートとかボブとか、今の私が作っている髪型は1年目、2年目のときに教わってきたスタイル。あの頃切ったものが、今に活きているとすごく感じます。そしてそれは、技術だけではありません。

 

25年も美容師をやってると、当然色々なことが変わっていきます。でもここ数年、今の自分は19、20歳の自分の延長線上だと思うことがすごく多いんです。代官山にSrawをオープンさせたこともそう。あの頃好きだったものや、見ていたものと地続きに今があって、技術はもちろん進化しているけど、それ以外のコアになる部分は変わっていないんですよね。

前社の頃から通ってくださっている方が多いのも、そういうことなのかなと思っています。一緒に年齢を重ねているという感覚がすごく強いですし、一緒に「ああ、あの頃あれ着てたよね」みたいな話が出来るのって、すごく幸せなことだな、と。だから、今好きなものを大事にすると、それは将来の自分に繋がっていくはずです。

 

(文/リクエストQJ編集部 撮影/菊池麻美)

 

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