ベーシックはハートで作る。美容業界のレジェンド、PEEK-A-BOO川島文夫 が示す美容師の仕事の本質-soucutsの庭Vol.3-

帰りのチケットを破ってロンドンへ。世界の美容に飛び込んだ21歳

 

 

内田:海外に行く、ロンドンに行くきっかけっていうのはあったんですか?

 

川島:やっぱり、向こうの空気に触れてみたいなと。僕、最初はカナダに行ったんですよ。当時は60年代の終わりから70年代。日本からヨーロッパは、とっても遠い国だったんですよ。どうしてもその時代は、「目指せUnited States」、「目指せNY」っていう感じで。その気運が主に日本に入ってきていたんですよね。

今は世界中の情報があふれていますけど、当時は、そんなに簡単に海外の文化に触れられる時代ではありませんでした。だから僕も、最初はNYに行きたいと思っていたんです。でも、そんな簡単には行けません。ちょうどベトナム戦争の時代でもありましたし、日本人がビザを申請したなら、「ベトナムの最前線に行けば永住権が取れる」なんて話もあった。それはさすがに危ないじゃないですか。せっかくアメリカに行ったのに、送り返されてベトナムに送られることになったら嫌だなと思って。それで、じゃあアメリカに一番近いところはどこかというと、やはりカナダのトロント。NYから、飛行機で1時間。そこを選択しました。今思うと、感覚としては、夜汽車で東北から上野駅に着いたくらいの近さでした。

 

内田:(笑)めちゃくちゃ近いですね。 

 

川島:トロントには1年8カ月住んでいました。その間にアメリカにも2回行きましたね。右も左も、見るものすべてが新鮮でした。トロントに戻って働きながら、「NYで頑張っている美容室はどこなんだろう」と、いろいろ調べたりもしていました。当時は今とはまた違って、素晴らしい美容室がたくさんあったんですよ。

ただ、やはり影響力という意味では、サスーン系の技術が大きかったと思います。60年代のニューヨークは、もう少しファンシーで華やかな雰囲気のサロンも多くて、たとえばケネスのような有名サロンや、バーグドルフ・グッドマンの中にあるサロンなど、ハイクオリティでエレガントなスタイルが主流でした。その対抗でサスーンというのは、やはり新鮮だったんじゃないですか。もう60年前の話だけどね。

 

内田:そうですね……。今出てきた名前も、僕はあまり詳しくないんですが、当時はそれが世界を席巻していたということなんですね。

 

川島:そうですね。それで、どうせだったらその発祥地であるイギリス・ロンドンに行ってみたいなと。当時、僕が生活してたカナダは、いわゆるカナディアンドリームというか、いい家に住めて、生活が豊かだったんですよ。でも、「いや…、このために海外に来たんじゃないかな」と思って。原点に戻ろうという気持ちで、2週間ほど勤めていた美容室から休暇をいただいてロンドンに行きました。往復切符を買って。ところがロンドンに着いた瞬間、3日後にはもう思ってしまったんです。「ここにいたい。ここで仕事がしたい」って。

ただ、チケットは往復でしたからね。どうしようかな、と1週間くらい悩みました。それである朝、ふっと目が覚めて――。帰りのチケットを破って、捨てました。

 

内田:え、すごい!

 

川島:荷物も、カナダに全部置いてきていたんです。2年近く生活していましたから、持ち物も思い出もたくさんありました。でも、それも全部捨てました。思い出も含めて、すべて手放しましたね。

 

内田:すごいですね……。それくらいロンドンの街に衝撃を受けたということですね。

 

 

川島:当時のロンドンは、いわゆる“スウィンギング・ロンドン”の時代。新しい文化がどんどん生まれていた頃です。ビートルズをはじめ、ツイッギーやローリング・ストーンズなど、そうしたカルチャーが街の空気として残っていて。僕が行った時は少し後の時代ではあったんですが、それでもまだ、その雰囲気が色濃く残っていました。世界のヘア、ファッション、そしてファッション文化のレボリューション。若者が最も輝いていた美しい時代だったと思います。その中に自分も身を投げたいなという気持ちでした。

 

内田:なんとなく行ったロンドンで衝撃を受けて、「もうカナダには帰らない。ここで勝負する」と決めたわけですよね。すごいな。それが20歳くらいの頃ですよね。そこからロンドン生活が始まったということですね。

 

川島:そうです。かっこいいでしょ?(笑)

 

一同爆笑

 

でも人間って、今でもそうだと思うんですけど、やっぱり挑戦しないと新しいことって生まれないじゃないですか。そういう意味では、僕は人より好奇心が強かったんじゃないかなと思います。僕にとっては、好奇心ってイコール“イマジネーション”なんです。右も左もわからない状態でしたけど、「ここが世界の中心なんじゃないか」という気持ちでやっていました。

 

1970年代のロンドンは、世界中の優秀な人たちが「目指せロンドン」と集まってくる特別な場所でした。しかも当時は、今のようにインターネットがない時代です。現地に行ってみないと、何が起きているのか全然わからない。今のようにクリックひとつで「パリのトレンドはこれ」「ロンドンの流行はこれ」といった情報が手に入る時代ではなかった。

だからイギリスに行けば、そこにあるのはイギリスの情報だけ。日本の状況もほとんどわからない。そういう環境にいたからこそ、僕はどこにも影響されずに自分なりのやり方を貫いてこられたのかもしれません。

今は、いろんな文化や情報が一度に入ってきますよね。たとえばアメリカならジーンズをはいて、メキシコならテンガロンハットをかぶって、ヨーロッパならそのスタイルも取り入れて……。それでは、自分のアイデンティティがなくなってしまうじゃないですか。やはり、まずはどっぷり浸かることじゃないですか、どこでも。

 

内田:じゃあもう本当に情報はほとんどない中で、ロンドン一筋でどっぷり浸かっていたんですね。実際に生活していくため、そして美容師として大成するために、最初の数年間はどんな感じだったんですか?

 

川島:僕、よくいろんなインタビューで、「苦労話ないんですか」とか、「嫌なことなかったんですか」とか聞かれますけど、一切ないんですよ。普通は、ロンドンに行っても仕事を見つけるのが大変じゃないですか。でも僕は紹介があったので、面接に行ったら「来週から、採用を前提としたトレーニングを受けてください」と言われたんです。それで、2カ月後にはもうスタイリストです。ですから、一生懸命やりましたけど、一言でいえばラッキー(笑)。運も才能のうちっていうじゃないですか。そんなことを思って、空を見て、感謝しました。

 

 

内田:当時の自分を振り返ってみて、美容の技術を身につけたり、教えられたことを吸収する力は、他の人より長けていたと思いますか?

 

川島:長けてるというよりも、ロンドンに行ってしっくりきたという感じでしょうか。日本で専門学校に行って、美容師として少なくとも4年くらいはスタイリストをやっていました。それはそれでとっても有意義だったんですが、インターナショナルじゃないんですよ。それで、ロンドンに行って初めて、「これが美容だ」と。ただ漠然と髪を作って、スタイルを作るんじゃなくて、定義もしっかりしている。良いか、悪いかが明確にわかっている。そういうことがわかっていると、自分でも自信が生まれるんですよ。これが、僕が目指した美容師だということが、痛切にわかりました。迷いがなくなったというか、「これで行こう」と。

 

内田:日本を経て、カナダを経て、ロンドンに行ったことで、技術や美容の世界はやっぱり違いを感じましたか? 当時のロンドンは。

 

川島:違ったと思いますね。なまぬるい世界ではありませんでしたし、世界中からトップレベルの人たちが集まってきていました。ちょうど60年代、70年代というのは、今の美容師や美容室のあり方が生まれた時代だったと思うんです。技術も力強いし、何よりかっこよかったですね。

 

内田:当時のヴィダル・サスーンも、まさに全盛期だったんですか?

 

川島:と、思います。

 

内田:じゃあ、世界中からサスーンの技術を学びたくて美容師が集まってきていたんですね。

 

川島:そうですね。そこで学んだ人たちは、今では世界でトップと呼ばれる人が多いです。私たちの同期にもそういう人がたくさんいます。今はもう、みんな少しおじさんになりましたけどね(笑)。僕が入社したのは21歳だったんですが、周りの平均年齢は28歳くらいでした。

 

内田:ダントツで若かったという。

 

川島:そうですね。マネージャーもディレクターも、だいたい30歳手前でした。

イギリスの場合は、16歳くらいから美容の仕事を始める人が多いんです。日本のような専門学校もありませんし、免許制度もありません。じゃあどうやってスタイリストになるのかというと、「どこのサロンで学んだか」というサロンのランクが大きいんです。あとは、どれだけお客さんに支持されるか、どんなスタイルを作れるか。そういう実力で評価が決まっていきます。よく10年でトップスタイリスト、15年でディレクターなんて言いますけど、そういう世界じゃないんですよ。やっぱり実力本位ですから、やればやるほど上に行ける世界なんです。

 

 

内田:では当時の川島青年も、歳上の人たちがほとんどの中で、かなり勝負したって感じなんですか?

 

川島:勝負したというよりは、負けないようにしていただけですね。周りには先輩もたくさんいましたし。大切なのは、どうやってその人を尊敬するかじゃないですか。尊敬できる人がいると、「自分もこんなことをやってみたい」と思えるし、いい友達になれますよね。向こうって、あんまり先輩だから俺が上だ!とか、あんまりそういう上下関係はないんです。

 

僕はスタイリストとして働いていましたが、そこから自然と、マネジメントの道に進む人と、ものづくり、つまりクリエイティブチームに入る人とに分かれていくんですね。

それは自分で決めるというより、会社の判断によるところが大きいんです。「この人ならショーを任せてもいいんじゃないか」とか、「この人は撮影に行かせてみよう」とか、そういう形で役割が決まっていく。ただ、チャンス自体はみんなに平等にあると思うんですよ。大事なのは、そのチャンスをどう自分に引き寄せるか。そのためには、やっぱりたくさん練習しました。起きてすぐ上手くなるわけじゃないですからね。周りには上手い人がたくさんいる。「早く自分もそうなりたいな」と思いながら、ずっと練習していました。

夢を大きく持つことが、自分を成長させるし、挑戦する力にもなるんじゃないかなと思います。

 

内田:川島先生、スーパーポジティブですよね。僕もいろんな先生方とお話しして来まししたが、こんなにポジティブな方、なかなかいないです。

 

川島:やっぱり、上手くなろうと思わないと上手くはならないんですよ。女性も同じで、「キレイになりたい」と思わない限り、キレイにはなれない。僕はずっと、そういう考え方を持っていました。上手くなりたい、人をハッピーにしたい。そういう気持ちがないと、いい髪型は作れないと思うんです。だから、その思いがブレないようにやってきましたね。

 

>愛弟子が語る川島文夫と「現在進行形」の教育

 

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