PEEK-A-BOO女性初のアートディレクター誕生! 業界のトップサロンで歴史に名を刻む伊藤雨潔さん

 

トップサロンとして美容業界を牽引し続けているPEEK-A-BOO(ピーク・ア・ブー)で、女性初のアートディレクターが誕生しました。現在、36歳の伊藤 雨潔(いとう さゆき)さんがその人です。

輝かしいキャリアとは裏腹に、アシスタント時代には人生のどん底を味わったという伊藤さん。どんなにつらいときでも、一度決めた「一流になる」という目標を叶えるために邁進してきました。

自らのことを“肩書きが大好き”と言う伊藤さんが、普段から何を考え、どんなふうに仕事と向き合っているのか、紐解いていくインタビューです。

 


 

台湾の美容室でのキラキラした体験が、美容師の夢への原風景

 

 

私は父が台湾人で、母が日本人。台湾で生まれて、6歳のときに日本に来ました。小学1年生からは東京で育っているので、周りの人には「もう東京出身でいいんじゃない?」と言われますが、台湾というルーツを大切にしたいという思いがあるんですよ。

美容師を志したきっかけは、実はその台湾時代。台湾の美容室は、日本と違ってとても気軽に行ける場所なんです。当時、シャンプーとブローが500円くらいだったので、私もよく母に連れられて足を運んでいました。

美容室ではキラキラしたお兄さん、お姉さんが働いていて、子どもでもお姫さまのように優しくしてもらえるのが嬉しかったですね。今でも覚えているのが、シャンプー台に寝そべったときの景色。天井からはカラフルなリボンがたくさん垂れて、ゴムで髪を結ったあとに、好きな色のリボンを結んでもらえるんです。私も、こんな風にキラキラした美容師になりたい、と心に決めました。

 

 

美容学校に進んでからは、コンテストに夢中に。昔から、競争や順位を決めるイベントごとには熱くなるタイプなんですよ。ワインディングも部活のようにやっていたのですが、そこで尊敬していたコンテスターの先輩が、PEEK-A-BOOに就職したんです。なので、PEEK-A-BOOというサロンがあることはその先輩から聞いて知りました。

それで興味を持って調べる中で、ある業界誌に掲載されていた代表の川島文夫のインタビュー記事を読みました。ちょうど、銀座店をオープンするタイミングでのインタビューで、「ハサミ一本で国境を越える」とか、「サロンっていうのは、チームなんだ」とか、力強い言葉が並んでいて、心を打たれたんです。美容師になるからには一流になりたいと考えていたので、絶対にここに入りたい、ここ以外はありえない、と導かれていった形でした。

 

入社1年で鬱の診断。「辞めたい」のではなく「辞めないといけないのかな?」という不安

 

 

強い意志を持って選んだ道でしたが、アシスタント時代は本当につらかったです。入社して初めて配属された店舗は厳しい先輩が多い環境でしたし、仕事もカリキュラムもハードで、できない自分にどんどん落ち込んでいって。私は美容師になるにあたって、「弱音を吐かない」「愚痴を言わない」「人の悪口を言わない」と決めていたので、どこにも吐き出すことができなくて、つらい気持ちを全部一人で抱えてしまっていたんですよね。冬になると特に気持ちが落ちてしまって、1年目の冬には鬱と診断されてしまいました。そこから4年、冬になるたびに気分が沈んで、浮き沈みを繰り返す日々。「辞めたい」と思ったことはなかったけれど、「この状態じゃ、辞めないといけないのかな」と不安になることは多々ありました。

 

 

ギリギリの状態で踏ん張ってはいたものの、限界はやっぱり来てしまい…。5年目の春、ついに出勤できなくなってしまいました。1カ月の休職を経て復帰したのは、元居た店舗ではなく青山店(現ONE店)。というのも、川島先生から直々に「店舗を移動したほうがいい」と声をかけていただいたんですよ。それが私の転機で、環境が変わったことで心もガラッと変わりました。先生がそばで見てくれている環境だったことも大きかったですし、普段の私はこの通りおしゃべりなので(笑)、お客さまにいろいろ提案をしていたら先生にも認めてもらえるように。そこから徐々に上昇気流に乗った感じでした。デビュー後、最初のランクであるプライマリーからスタイリストにランクアップするのも、最速の3カ月で達成したんですよ。

 

>アートディレクターになると決めた瞬間、スイッチが入った

 

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