PEEK-A-BOO川島文夫 〜飢餓感の、地図。〜【GENERATION】後編  雑誌リクエストQJ2003年3月号より

 

雑誌「リクエストQJ」創刊以来の看板企画「GENERATION(ジェネレーション)」。

昭和〜平成〜令和と激動の美容業界において、その一時代を築いてきた美容師さんを深堀りしたロングインタビューです。

300回以上続いた連載の中から、時を経た今もなお、美容師さんにぜひ読んでいただきたいストーリーをピックアップしていきます。

今回は2003年3月号から、PEEK-A-BOOの代表・川島文夫さんのインタビューをご紹介。美容業界の偉人の一人、川島さんのドラマチックな美容人生を当時の空気感を感じながら、ぜひ読んでみてください。

 

今回は後編です。

 

ライター:岡孝司

 


 

果てのない地図を、

こころに抱く人は幸せである。

なぜなら彼は、自分の限界というものを

知らずに生きていけるから。

やるべきことの終わりを、

見なくても生きていけるから。

 

果てのない地図を、

こころに抱いてしまった人は、不幸である。

なぜなら彼は、ゴールのない人生を

どこまでも走りつづけなくてはならないから。

やりたいことばかりが頭に渦巻き、

できない自分に苛立ちながら、

いつも飢餓感を感じて生きていかなければならないから。

 

だけど、人が幸せなのか不幸なのかを、

いったいだれが決めるのだろう。

神様か、仏様か。

親か、他人か、友人か。

伴侶か、子どもか、先生か。

いや、違う。

自分だ。

果てのない地図を抱えて、

幸せだと感じられるのは、自分しかいない。

あの、川島文夫のように。

 

 

1970年。ロンドン。

ナイツブリッジ。午前9時。

川島文夫は『ヴィダル・サスーン』のスクールに初登校した。

そこにはすでに30人を超える女性たちが、彼ら“生徒”の到着を待っていた。カットモデルである。川島はすぐに、その日にカットするモデルを選び始めた。

 

 

川島は『ヴィダル・サスーン』に就職するために、スクールに入った。カナダ・トロントの有名美容室に勤めていた彼は、休暇を利用してロンドンへやってきた。サスーンのスクール入学試験を受け、合格。すぐにトロントへ国際電話をかけ、退職する旨を告げ、復路の航空券を破り捨てた。そこまでは前号で書いた。今回はそのスクールでの生活から話を始める。

 

 

スクールにはふたつのコースがあった。ひとつは一般の美容師が学びにくるコース。

英国で美容師を志す人は、一般的に義務教育を終えた15、6歳から美容室に入り、修業を始める。日常は勤務先の美容室で、仕事をしながら技術を教わる。さらに週に一度の休日を利用して、さまざまな美容室が開講するスクールに通うのだ。『ヴィダル・サスーン』もまた、そのような美容師のタマゴたちのためにスクールを開講していた。

 

もうひとつのコースは、『ヴィダル・サスーン』に入社するためのスクールである。

サスーンの採用試験を受けるためのスクール。そこには世界中から若くて野心的な美容師が集まっていた。彼らは“バーグラー”と呼ばれ、最短でも1カ月間はそのスクールで、採用されるための技術を磨いた。

 

だがいくら技術を磨いても、サロンのスタッフに空きが出ないと採用試験そのものが行われない。タイミングが悪いと、2カ月、3カ月と待たされる。

授業料は無料。しかし、無給。それでもバーグラーは、全員が待つのであった。

 

 

採用試験は、5人のモデルをカットすること。だからこそスクールでは、モデル選びも重要となる。

 

スクールには毎朝、9時前には女性たちが集まる。そのなかから彼らは、自分が表現したいヘアスタイルに最もマッチした女性を選ぶのである。

当然、見映えのいい女性は争奪戦になる。だからだれよりも早くスクールに来るか。あるいはコミュニケーション能力を発揮して口説き落とすか。その渦中に、川島文夫は放り込まれた。

「最初の争奪戦に敗れたら、待つという手段もある。もっといいモデルが後からやってくるかもしれない」

 

カットは10時にスタートする。午前中にひとり。午後にひとり。時間をたっぷりかけて、モデルの髪を切る。

「1ミリの狂いもなく切らないといけない。そのくらい厳しいスクールだった。ぼくはそこで造形やシェイプを学んだんです」

 

それまで感覚だけでやっていたことを、少しずつ理論化していくプロセス。彼は空き時間を見つけては、必ずサロンへ見学に行った。そこには素晴らしい技術を駆使するスタイリストがたくさんいる。彼は目をキラキラさせながら、その技術を盗んだ。見よう見まねで頭のなかに叩き込むと、すぐにモデルの髪で試してみる。それが彼の勉強だった。

 

周囲には、キラ星のごときタレントがあふれていた。出身はオーストラリア、イタリア、マレーシア‥‥。まさに世界中から才能が集まっていた。

 

「カッコイイ人しかいなかったね。今よりもずっと。サスーンで働いて、学んで、国に帰って美容師になる。もうみんなギラギラしてる。必死ですよ。そのなかに入るから、ぼくも必死」

彼はそのころ、思っている。

「絶対に負けないというか、オレの方がうまいと思った。そのなかではね」

 

毎日ふたりのモデルの髪を、懸命に、ていねいに、寸分の狂いなくカットする日々がつづく。基本的な期限である1カ月は、すぐにやってきた。だが、サロンにスタイリストの空きは発生せず、声はかからなかった。

「良かったと思ってる。結局、やればやるほど奥の深さが見えてきて、もっと、もっと、と思い始めるんですよ」

それからさらに2カ月。彼は研鑽をつづけた。その間、彼はイメージ通りのモデル5人の確保を完了していた。

3カ月が経ったある日、突然声がかかった。

採用試験。5人のカット。川島文夫は一発で合格した。

 

>イノベーションへの道

 

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