【上原俊樹】トレンド構築や技術教育を牽引するfifthテクニカルディレクターに直撃。会社の繁栄を支えるマインドセットと今後の展開に迫る

今や300人ものスタッフが働くfifthグループでテクニカルディレクターを務めているのが、上原俊樹(かんばるとしき)さんです。スタッフ数一桁のfifth初期時代に26歳でアシスタントとして入社し、スタイリストデビューも遅かったという上原さんですが、デビュー後は神速で成長。得意だったパーマ技術でツイストスパイラルなどを生み出し、現在は社内教育にも注力するほか、国内外でセミナー講師としても活躍しています。そんな上原さんを、今回は初インタビュー。上原さんの知られざる20代の頃の話や技術の磨き方、これからチャレンジしていきたいことなどについて聞きました。
30歳で遅咲きデビュー後、社内売上1位に
――福岡の専門学校を卒業後に上京した上原さんですが、美容師のキャリアはどちらからスタートしたんですか?
実はfifthに入社したのは26歳の時。そこにたどりつくまでは長い道のりでした。その頃はストリートヘア&ファッション雑誌『CHOKiCHOKi』をよく見ていたので、そこに掲載されているサロンに憧れていました。福岡の専門学校時代、2〜3ヵ月に一回は上京して原宿エリアをまわったりしていたんです。でも結果的に希望するサロンには受からずで。それで、郊外のサロンで3年ほど働きました。当時は横浜に住んでいて、慣れない満員電車が本当に苦痛だったし、都内で働きたい思いが強くて(笑)。それで都心に引っ越したんですね。異業種でバイトしながら就活しようと思っていたんですけど、そのまま2年ほどずるずるとバイトだけしてました。この先どうしよう、地元に帰ろうかな…なんて思っていたら、専門時代の同級生だった木村(木村允人・現在fifthグループ代表)から連絡がきて、「fifthで一緒に働かない?」と誘ってくれたんです。

26歳でfifthにアシスタントとして入って、シャンプーから始めました。同級生はすでにスタイリストになっていたり、中には店長をしている人もいて。「デビューしたら抜いてやる」なんて思いながら頑張っていましたが、なかなかスタイリストになれなくて30歳でデビューしたんですよ。アシスタント時代はお金もなく、余計に頑張らなきゃと思ってましたね。あの頃の体重は53kg。ガリガリでしたね。スタイリストになってからはがむしゃらに集客して、単価約8000円、200万ほど売り上げてました。ですが当時はレディースを主にやっていたので、メニューにはカラーもブリーチもパーマもあって、体力的にきつかったですね。

――それでも有言実行で、売上は社内でトップになったとか。
わりとすぐに実現できました。途中からメンズに切り替えて最終的には400万くらいまでいって、「この記録はしばらくは抜かされないだろう」なんて思っていたんですけど、そのあと内田佳佑(fifthTOKYO)、堀雄大(fifthグループ総店長)にすぐに抜かれました(笑)。ですが、後輩が記録を出したことはすごく嬉しかったですね。
