“Wライセンス”を武器に、日本橋で理美容を提供する高松秀和。理容サロンと美容サロンを経験し、地方出店の立ち上げ、独立出店を経験。実家のサロンを引き継いで新たなフェーズへ

 

 

昔ながらの問屋文化が息づくクラフトの聖地、日本橋馬喰町。江戸の面影を残すこの土地で、祖父の代から続く理容室を2020年、『Luce hair design(ルーチェヘアデザイン)』としてリニューアルしたのが、理容師免許と美容師免許のWライセンスを持つ代表・高松秀和(たかまつひでかず)さん。10代〜80代の幅広い男女客を担当し、予約は既存客だけでいつもフル状態だそう。現時点で7.7万人のInstagramフォロワーを抱えている高松さんに、Wライセンス取得に至った理由や、歩んできたユニークなキャリアについて聞きました。

 


 

街の理容店から、美容室へ。美容師への転向

 

――高松さんはもともと理容師として働いていて、5年後に通信で美容師免許を取り、美容師になったそうですね。その背景を教えてください。

 

僕の実家は祖父の代から理容室を経営していたので、環境的にも理容師免許を取得するのが自然な流れでした。最初に就職した理容室は、学校からの推薦でした。コンテストにも積極的に参加して入賞者を出す実力派の店でしたね。そのまま理容師として順調に経験を重ねていたんです。

 




美容師免許を取ろうと思ったのは、女性の友達から「髪を切ってよ」と頼まれたことがあって、思うようなスタイルにならなかったのがきっかけです。レングスがミディアムだったので、「その長さならメンズカットでも経験しているし、できるだろう」と思ったんですけど、想像以上に顔まわりと似合わせがうまくいかなくて。予想に反した仕上がりに、若干の悔しさを感じていました。とくに前髪は1〜2mmの誤差で印象が変わってしまうので、理容しかやってこなかった自分には、難易度が高すぎました。そこからレディースのヘアカタや雑誌を見て勉強していたんですけど、独学ではなかなか難しいなと。それで、しっかりしたレディースカットを習得したいと思って、美容師免許を取ろうと決意したんです。

 





――次の職場として選んだのは、全国に美容室を展開している大型店ですね。再びアシスタントとしてのスタートは大変だったのでは?

 

僕自身は「学ばなきゃ」という気持ちで前向きでしたし、とくに気にならなかったですね。会社には「たくさんの人を担当したい」という希望を伝えて、配属されたのは毎日130〜150人が来店する郊外の大型店舗でした。以前勤めていた理容店とは雰囲気も全く違いますし、比較できないくらい忙しくて。たくさんの技術に関われる環境で働くことに、毎日がワクワクしましたね。僕の中では、とくにロングのシャンプー、カット、カラー、ブローがネックだったので、そこを重点的に磨いていきました。特に長い髪の扱い方は、想像以上に難しかったです。

 

 

 

――どれくらいでスタイリストデビューしましたか?

 

1年半後にジュニアスタイリストになりました。分からないことはどんどん先輩たちに聞いて、その都度スキルアップしていけるように取り組みましたね。レディースの技術ではまだまだ未熟でも、男性客の新規がたまに来ると任されることが多かったので、その部分で店に貢献できているのを感じられるのは嬉しかったですし、自信になっていました。デビュー後は、毎月売上100万を超えるように頑張っていました。ちなみに店長は500万超えでしたから、それに比べるとまだまだでしたけどね。

 



 

>北陸の注目サロンで2年、泥くさい個人集客を経験

 


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