LIM 宗悠介さんのびよう道 “模索”が“挑戦”に変わるとき──シンガポールと東京、2度の「ゼロからの再出発」で得た答え

 

美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代です。もちろんそれも良いですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があっても良いかもしれません。

 

「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修行時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。

 

終電後のレッスンは日常。営業後には「また6時間後にね」と笑い合う──そんな過酷な修行時代を過ごした宗悠介(そう ゆうすけ)さんは、海外、そして東京での“ゼロからの挑戦”を経て、現在は東京LIM(リム)の責任者、COOとしてチームを率いています。

言葉もわからないまま飛び込んだシンガポール。模索しながらたどり着いた地で「逃げない自分」と出会い、“自然体で立つ強さ”を手に入れるまでの軌跡。美容師として、人として、常に自分を更新し続けてきた宗さんの「びよう道」をたどります。



 

「また6時間後に」──僕が美容師として走り続けた修行時代

 

 

美容専門学校を卒業後、神戸の有名店で6年間の修行時代を過ごしました。毎日がレッスン漬けで、営業後の夜10時や11時に掃除が終わり、そこから自主練。帰り際には「また6時間後にね」と声を掛け合い、少し寝ては朝のレッスンに向かう。体力的には過酷でしたが、不思議と「辞めたい」と思ったことはありません。好きなことを仕事にしているという実感があったからです。

 

高校時代、進路に迷って「自分の好きなこと」を紙に書き出してみたんです。人と関わるのが好き、子どもが好き、ものづくりが好き──そのすべてを満たしていたのが美容師という仕事でした。

 

ただ、アシスタントの頃の僕は素直じゃなかった。ワインディングでは「左右同じように巻け」と言われて、「右と左で髪のクセが違うのに、そんなん無理やろ」と反発してしまう。修行の厳しさ以上に、自分の未熟さがいちばんの壁だった気がします。

 

模索の末たどり着いた場所で、逃げずに向き合うことを覚えた──シンガポールでの4年間

 

 

スタイリストデビューは3年3カ月。同期の中では早い方でした。でも、売上に悩み、どこか限界を感じていました。「お客さんが楽しんでくれたらそれでいい」と思いながらも、「このままでいいのか」と自問自答する日々。そんなとき、LIMのシンガポール店でのスタイリスト募集の話を耳にし、「これだ!」と直感しました。海外で働きたいという憧れと、どう美容と向き合うかという模索が重なっての決断。振り返れば、それは「逃げ」でした。でも、その先で、初めて本気で自分と向き合うことになったんです。

 

シンガポールでは顧客ゼロからのスタート。なにより困ったのは、前職のサロンで特殊なカット技術を習っていたので普通のカットができなかったこと。シンガポールで求められる「普通のレイヤーカット」がまったく切れなかった。当時統括ディレクターだったカンタロウさんに「このスタイル切ってみて」と言われ、ハサミを入れた瞬間、「それじゃ失客だね」と苦笑された悔しさは今でも鮮明に覚えています。そこから毎晩、動画やカット本を頼りに、足りない技術を必死で学びました。

 

 

シンガポールで得たのは技術だけではありません。一番大きかったのは、考え方が変わったこと。LIMには「LIM BOOK」という、サロンとしての在り方や美容師としての姿勢を記した指針があって、その言葉が支えになりました。「お客さまを美しくするためにどう在るべきか」に正面から向き合う中で、美容師としての軸が、少しずつ形になっていったんです。

 

>「お客さまの空気をつかむのが、私たちの技術である。」

 

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