【13万人のフォロワーが消滅!】フリーランス美容師・深町隼輔の“ロジカルに成長する力”。SNSが消えても、想いは消えない!運命の出会いと不屈の挑戦。

13万人のフォロワーを抱えるInstagramが、ある日突然、凍結。
それでも「大丈夫です、切り替えていきます」と笑ってみせたのは、フリーランス美容師・深町隼輔(ふかまちしゅんすけ)さん。福岡の美容学校時代に出会ったのは、当時すでにスター美容師として名を馳せていた京極琉(きょうごくりゅう)氏。運命のような巡り合わせが、美容師人生の歯車を大きく動かしました。自己申告で始まったスタイリストキャリア、フリー転身後の“誰でもわかるカット”発信、そして理想のウィッグ開発へ。一見、軽やかに見えるその歩みの裏には、確かな情熱と不屈の覚悟がありました。何が深町さんを突き動かしてきたのでしょうか。「深町隼輔」という美容師の“進化の軌跡”を辿ります。
「切り替えていきます」その一言に宿る、強さ
――今年7月、フォロワー13万人のInstagramアカウントが凍結されたそうですね。
はい、一瞬で消えました(苦笑)。唖然としましたが、いろんな人たちがメンションしてくれて、新アカウントで今3万人まで戻ってきてくれています。びっくりしましたけど、気持ちを切り替えて前に進もうと思っています。

――そんな逆境にも前向きな深町さんは、2年前にフリーランスに。それまでのキャリアについて教えてください。
福岡の美容学校を卒業して、新卒で都内の大型店に新卒入社しました。実は学生時代に京極琉さんと知り合って、いつか琉さんのサロンに入りたいと思っていたんですね。即戦力が求められる琉さんのサロンで働く前に、まずは基礎を学んでおきたいという思いがあったので、第1社目は教育カリキュラムが充実したサロンを選びました。

――京極さんとの出会いは?
学生時代からクリエイティブな表現に興味があり、SNSで偶然、琉さんの作品を見つけたのがきっかけでした。圧倒的な世界観に惹かれ、すぐにサロンを予約したんです。ただ、当時の僕は大きな勘違いをしていまして(笑)。
サロンの住所が「赤坂」とあったので、てっきり福岡の赤坂だと思い込んでいたんです。予約を入れたあとに「東京・赤坂」だと気づいて。でも、キャンセルするのは悔しくて。思い切って飛行機のチケットを取り、会いに行きました。初めてお会いした瞬間、衝撃を受けましたね。そこからは定期的に通うようになり、上京するたびにカットレッスンも受けていました。
最初の大型店では9ヵ月ほど働き、その後、琉さんのサロンにカラーリストとして入社。専属アシスタントも兼任していたので、営業日はサロンでサポートし、外部セミナーに同行したり、営業後は動画編集を手伝ったりと、本当に“琉さん一筋”の毎日でした。忙しくても、すべてが学びで、幸せでした。ただ、自分のカット練習の時間がなかなか取れなくて……。その葛藤を正直に琉さんに相談し、次のステップへ進む決意を固めました。

――その後、「東京スタイリストアカデミー」でカットを学ばれたとか。
はい。3カ月間、徹底的にカットを学べる美容師向けのスクールに通いました。朝から晩まで、まさに“カット漬け”の毎日。1ヵ月ごとにテーマが決まっていて、最初はベーシック、その次はサロンスタイル、そして最後はモデル100人を実際にカットするというハードなカリキュラムでした。
当時はお金がなくて、借金をして通ったんです(笑)。それでも「今、技術に投資することが一番の財産になる」と信じていました。スタイリストとして復帰した後もしばらくは返済に追われましたが、あの3ヵ月があったからこそ踏ん張れたし、“稼ぐ力”を自分の手で掴みたいという気持ちが芽生えたと思います。あのとき、思い切って飛び込んで本当に良かったと、今でも心から思います。