厳しくて優しい、植村隆博という人間

2013年12月1日、美容業界に激震が走りました。DADA CuBiC代表植村隆博氏の逝去。その卓越したクリエイティブセンス、また教育者としても業界の発展に尽力し、美容師が憧れる美容師として多大なる影響力のある存在でした。

植村氏が亡くなって四年目になる今、QJナビでは改めて植村隆博氏の人柄について触れていきたいと思います。

 

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今回、お話をお伺いしたのは、DADA CuBiCのアートディレクター、古城隆さん。植村さんに直接指導を仰いだ最後の一人です。

 

-古城さんと植村さんの出会った頃のお話からお伺いできますか?

 

僕は2000年、20歳の時にDADAに入社しました。1997年にDADAがOPENして3年目の時の中途採用です。当時の植村、DADAにはなんとも言えない緊張感が漂っていて、チーム全員が尖っていましたね。

そんな中、僕はまだ20歳と若く、入社して数日くらいでまだ何も分からないのに、「撮影についていきたい」なんて言ったりしましたね。今考えるとありえない(笑)。

 

-撮影は連れて行ってもらえたんですか?

 

最初はもちろん断られて。何にもできないから当たり前ですよね。でも結局は連れて行ってくれたんです。そばにいてスタイリング剤を渡すだけでもうれしくて。段階を踏んでいろいろな経験をさせてくれました。

これまでたくさん撮影はしてきたけど、やっぱりはじめて連れて行ってもらった撮影現場の風景は今でも鮮明に思い出せます。

 

>教育者としての植村隆博はどんな人?

 

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