丸みショートの旗手が語る“8年の下積み”と独立の真実──銀座・麻布十番3店舗を率いるaRietta代表・馬場義隆の仕事哲学

銀座に2店舗、麻布十番に1店舗を展開し、“丸みショート”の旗手として支持を集めるaRietta(アリエッタ)代表・馬場義隆(ばばよしたか)さん。19歳で地元・新潟のサロンからキャリアをスタートし、上京後は有名店で再び基礎から技術を磨き直しました。2014年に銀座で『aRietta』を立ち上げて以降、半個室型の空間づくりや、スタッフの“好きな技術”を軸にした打ち出しでファンを拡大。SNS時代の発信力も武器にしながら、現在は25名の組織を率いています。そんな馬場さんに、下積みから独立、そしてこれからの展望まで伺いました。
23歳で上京。全盛期の有名店で、再びシャンプーから
――馬場さんは23歳で新潟から表参道の有名店に転職されていますが、上京のきっかけは?
最初に新潟で勤めたのは、地元では一目置かれた老舗のサロンでした。顧客は年配のお客さまが多く、細かいロッドを巻くパーマ中心だったんです。基礎技術は身につきましたが、デザインの幅には限界を感じていて。業界誌を読むたびに「もっと違う世界を見たい」と思うようになりました。ドラマ『ビューティフルライフ』の影響もあり、表参道への憧れが募りましたね。何度か東京まで、お客さんとしてサロンに足を運びました。
当時入りたいと思っていたのは、カットで有名な表参道のブランドサロン。入社を熱望して、何度も受けたんですが、そのたびに不合格で。

さすがにあきらめかけた頃、別の有名店にご縁をいただきました。スタイリスト経験はありましたが、そこでは完全にゼロからの再スタート。シャンプーも一からやり直しました。セレブ御用達のコンサバ系のサロンだったので、技術面でも接客面でも教育カリキュラムは厳しくて。スタイリストデビューまでは、5年かかりましたね。辛い時期もありましたが、人気芸能人やモデルも多く来店し、雑誌の撮影も多くて刺激を受けました。ここで技術を磨けば必ず武器になると思い、アシスタントで辞めるという選択肢はありませんでした。

――デビューしてからは順調でした?
入社当初はサロンの“全盛期”で、フリー客が数ヵ月待ちという状態でした。地方から上京した僕にとって、本当にキラキラした場所だったんです。でも、デビューした頃には環境も雰囲気も様変わりし、ほとんどフリーが来ない状態になっていて。当時は集客サイトもSNSもなく、街で声をかけることもサロンのブランディング上、禁止されていました。八方塞がりの環境でしたね。それでも何とか来店顧客のリピートをつなぎ、月売上は100万ほどでした。
