LIM 宗悠介さんのびよう道 “模索”が“挑戦”に変わるとき──シンガポールと東京、2度の「ゼロからの再出発」で得た答え

「お客さまの空気をつかむのが、私たちの技術である。」

 

 

美容師の仕事は、ただカットが上手ければいいわけじゃない。お客さまがどんな気持ちで来店し、どんな表情で帰るのか。「お客さまの空気をつかむのが、私たちの技術である。」──この言葉の意味を、ようやく実感できた気がします。空気を読み、寄り添い、導くこと。それが本当の技術なんだと気づきました。

 

サロンのあり方や美容師の姿勢が記されている「LIM BOOK」の一節

 

そこからは、異文化の中でどう信頼関係を築くかを意識するようになりました。毎朝「グッドモーニン!」と大きな声で挨拶したり、ふざけて笑いを取ったり。言葉が通じなくても、心を開けば関係は築ける。言葉以上に、「関係性」がすべてだと感じました。

 

シンガポールでは口コミが口コミを呼びたくさんのお客さまを担当し、コレクションのバックステージにも入るなど充実した美容師生活を送っていました。ただ、体調はボロボロでした(笑)。半年に一度は点滴。人気が出るほど担当するお客さまが増えていくのに、ヘルプスタッフ不足。休む暇もない。現地の食事も合わなくて、食べられないものだらけ。でも、不思議とつらくなかった。海外で挑戦したいという夢を追ってきたシンガポールで、初めて「逃げない自分」と向き合えた。この4年間で、価値観そのものが大きく変わったんです。

 

東京で、またゼロから……30歳の僕がモデルハントに立った理由

 

 

シンガポールでの4年間を経て、僕は東京への帰還を決めました。理由の一つは体調面。アトピーが悪化し、忙しさも重なって限界を感じていました。でも、それ以上に「次に進もう」と思えた。顧客にも恵まれ、デザインにも全力を注ぎきった。だからこそ、次のステージに進もうという気持ちになれたんです。地元に帰ってもいいし、別のところに就職してもいいかなと思っていたところにカンタロウさんから「東京どうなん?」と声をかけてもらいました。東京なんて働きたくても働けない場所。これはチャンスだと思い東京で再スタートすることを決めました。

 

とはいえ、国を変えて再スタートは想像以上に過酷でした。顧客ゼロ、信頼ゼロ。実績も通用しない。売上がないから給与もアシスタント並み。30歳にして道に立ち、名刺片手に声をかけることは、何度も心が折れそうになりました。

 

僕がほしかったのは、通ってくれるお客さまでした。もともと女性に声をかけるのが苦手で、渋谷や原宿で名刺を差し出しても受け取ってもらえない。でも、やるしかなかった。どうしたら思いが届くかを考え、小さな手紙を添えるようになりました。「ありがとうございます。もしよかったらInstagram見てください」「カットさせてもらえませんか?」と、一人ひとりに心を込めて渡していったんです。

 

だからこそ、出会いを全力で大切にしたんです。シンガポールで学んだ「一人を喜ばせる」原点に、もう一度立ち返りました。ファンを作る技術と考え方はもうあったので、10人ハントしたら10人リピートしてもらえばいいと。

 

 

すると、少しずつ輪が広がっていきました。その頃ハントで出会ったお客さまが10年以上通ってくれている。家族を紹介してくれて、子どもと一緒に来てくれる。そんなつながりが、僕の東京での美容師人生を支えてくれました。

 

でも正直、東京時代がいちばんキツかったかもしれないですね。体力も、精神も、プライドも削られた。「自分は何者でもない」と思い知らされた毎日でした。それでも毎日をていねいに。それが今の自分をつくってくれたんです。モデル撮影、SNS投稿、新たにサロンがはじめた集客サイトの更新……3年で、トッププレイヤーになることができました。

 

>「自分のままでいられる強さ」を、チームのために──COOとしての今

 

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