二十歳の頃、どう過ごしてた? NNN/NOBUさんの二十歳の頃。
アプリ版『リクエストQJ』3月号で掲載中の「二十歳の頃。」をwebでも特別公開!
成人して、大人としての第一歩を踏み出す年齢であり、多くの美容師さんにとっては、美容師人生のスタートでもある二十歳。
今、業界で活躍するみなさんは、当時どんなことを考え、どんな日々を過ごしていたのでしょうか?
今回は、NNN(スリーエヌ)プロデューサーのNOBU(ノブ)さんに二十歳の頃のお話を伺いました。
二十歳の頃どう過ごしてた?
─二十歳の頃のNOBUさんは、どんな風に過ごしていましたか?
当時は、美容師と言えばなりたい職業No.1みたいな時代。とにかくかっこよく見えたし、美容師になって絶対に成りあがる!という強い思いがありました。
なので、とにかく注目されたくて、専門時代からめちゃくちゃなことばっかりしていましたね。
例えば、モニター授業という実際に学校でサロンワークをする実習のカリキュラムでは、モデルから指名が入ると黒いTシャツを着れたんですよ。それを見れば、周りは「あいつ指名入ったんだ」とわかるから、絶対に着たかった。そのために、街で自作の名刺を配りまくって、次の授業で山ほど指名をもらったり。周りからはよく思われなかったけど、あまりルールにこだわらず、やりたいことは何でもやっていました(笑)。
目立つためには、中心地である東京に就職したほうがいいこともわかっていたので、一社目に選んだのは都内の有名店。ただ、一社目は正直合わなかったです。
そのサロンはちゃんとカリキュラムが決まっていて、年功序列の、いわゆる日本らしいスタイル。でもそれだとどうしても時間がかかってしまうし、どんなに急いでもスタイリストデビューは25歳くらいじゃないですか。
僕は二十歳のころから、十代は自分のため、二十代は家族のため、三十代は日本のため、四十代は世界のために生きると決めていたんです。何もわからずに「有名店だから」と選んだ一社目は、そういう生き方をしたい僕のスピード感に合わず、あっという間に退社してしまいました。
でも、“すぐに辞めたダメな奴”だと思われるのは嫌だったから、辞めてからも活躍して、「NOBU逃したな」と思ってもらえるように努力していました。
僕はたしかに無茶をするタイプだけど、常にどこかに自分の居場所を探しながらやってるんですよ。それがなぜかというと、僕が一番出来ないのが経営だから。プロデュースやPR、教育面は長けているけど、それ以外はダメなんです。だから自分一人で居場所をつくるっていうことができない。今まで店長すらやったことがないくらい、本当に無理なんですよね、数字の計算(笑)。
─退社されたあとは、別のサロンに行かれたんですか?
実は退社後、いきなりサロンを出そうと思っていました。専門時代に「いつか一緒に店を出そう」と約束していたメンバーがいたので、すぐに声をかけたんですけど、まあ普通に断られて(笑)。頭を抱えていたところで、大阪の有名店に拾ってもらったんです。僕は運がいいんですよね。そこから一年くらいはそのサロンで働かせてもらいました。
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