【NOUe・土田哲也】売上最下位からの逆転劇。紆余曲折を乗り越え、理想の実現に向けて走り続ける原動力と戦い方

 

都心に転職。暗黒時代を経て、売れっ子に!

 

――都心で働き始めてからは、撮影にも注力されたとか?

 

その頃は集客サイト全盛期だったので、そこに掲載するスタイルを作るために頑張りましたね。カメラも2台買って、独学で撮影を学んで。ストロボも3台くらい買いました。休日も撮影して忙しくしていましたけど、東京の美容師をやっている感というか、その嬉しさでワクワクしました。ただ、最初は思うようにいかないことも多くて、ひたすら努力の日々。なので、僕の中でその時期は暗黒時代です。でも3年経った頃から少しずつ光が見え始めて、売上も上がり、店長にも昇格しました。


 


――SNSブームの中、土田さんはいち早く”ショート”を打ち出していましたね。

 

カットが好きだったこともあり、いろんなセミナーや本を読んでカットを学んできたので、”ショート”を打ち出したことは必然的だったのかなと思います。”ショート”で広く認知されて、ある程度までポジションを確立することができました。

そこから4 年後、プロデューサーという形で、新しいサロンの出店を任されたんです。 それが渋谷のvain(ヴェイン)です。新しいブランドコンセプトの下、よりクラスアップさせたデザイン発信にこだわりました。僕はクールモードな女性像を打ち出したくて、投稿もそういうスタイルにしていたんですね。
それで僕の作る”ショート”の世界観とvainがマッチしてお客さまが増えてゆき、入社当時は売上はほぼ最下位でしたけど、それ以降はスタイリスト150人以上の中、ずっと社内ランキング1位でしたね。




 

――そのセルフブランディング能力は、どのように培ったんですか?

 

何でしょうね(笑)。技術も接客もSNSのやり方なども、うまくいっている人を見て、考えて動きながらトライアンドエラーを繰り返していました。売れている先輩の理由は何だろう?と分析したりもしていたので、その習慣のおかげかもしれないです。時代の流れも、アンテナを立てて敏感に察知するようにしていましたし。”師”がいなかったことで、自分で考えてやってみる、というのが習慣化できていたのかも。





――ショート推しから、やがてスタイルのバリエーションも豊かになりましたが、何か心境の変化があったのでしょうか。

 

ショートはもともと好きで打ち出していて、それによって自分のポジションを確立できましたが、お客さまと長く付き合っていくという本質を考えたときに、特化型はもう違うのかなと思ったんですね。僕は集客目的ではなく、今は顧客価値を深めていくフェーズなので、幅広いスタイル発信をしていこうと。






>新サロンの立ち上げから5年。独立出店へ

 

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