史上初の兄弟対談! 受験不合格、就活失敗…いくつもの挫折と覚悟が、二人を強くした!  -OCEAN TOKYO 高木琢也・陽介 兄弟ヒストリー-【前編】

 

「兄弟の対談は、ずっと断っていたんです」

 

開口一番、そう語りはじめたOCEAN TOKYO代表、高木琢也さん。二人が並んでメディアに登場するのは、今回が初。「いままで味わったことのない緊張感です」と、企画書を握りしめて取材場所に訪れた弟の陽介さん。

 

兄弟だから語れること、兄弟がいたから乗り越えられたいくつもの体験を、赤裸々に語っていただきました。美容業界で最も注目を集める、兄弟の神髄とは? QJナビDAILY独占、高木兄弟のスペシャルインタビュー公開! 前編・後編でたっぷりお届けします。

 

前編では、幼少時代から専門時代までにフォーカス! この日まで秘密にしていた真実も語っていただきました。ぜひご覧ください。

 

>後編を見る

 


 

「攻め」の兄と、「守り」の弟。真逆な二人の幼少時代       

 

 

−琢也さんは弟の陽介さんが産まれたときのことって覚えていますか?

 

琢也:うーん、親父と自転車のうしろに乗りながら「もうすぐ弟と会えるね。楽しみだね」って話していたことかな、そのことは覚えてます。みんなが陽介の誕生を心待ちにしていて、特に両家のじいちゃんとばぁちゃん、ものすごく喜んでいたな。

 

陽介:ちっちゃいころさ、二人でよく「風船落としたら負けゲーム」してなかった? バレーボールみたいなルールで、畳で陣地つくって、自分の陣地で風船落としたら負けってやつ。

 

琢也:うわー、懐かしい! よくやってたわ。毎年、必ず家族旅行していたのも懐かしい思い出。サーフィンとかスキーとか。スキーに連れてくと、なぜか陽介って熱出してなかった!?

 

陽介:はい、せっかく行ったのに、僕だけ宿にいるっていう(笑)。父が同好会に入るくらいスキーが好きだったのに、僕は興味がもてなくて…体調に出ちゃっていました。

 

家族旅行に行ったときの一枚。幼少期の琢也さんと陽介さん。

 

琢也:親父はマラソンも好きで、親子でえげつない距離を走らされたよな(笑)。

 

陽介:おかげで、僕も兄も小学校のマラソン大会でずっと1位でした。

 

琢也:陽介が小4のときに、俺の記録を抜きやがって…あれは結構クラった…。コツコツ努力するし根性あるんだよな、陽介って。

 

陽介:負けず嫌いなんです。「できない」って思われるのが嫌で。だから勉強もスポーツも全部頑張っていましたし。

 

琢也:そのイメージはあるね、そういや小学校で児童会長やってなかった? 僕もやりたくて立候補したのに、落選して…。よく考えてみると、あれが「肝心なときに決められない人生」の幕開けだったわ(笑)。

 

 

−決められない人生の幕開け! いまのご活躍からは想像できませんね。

 

琢也:ヤンチャでしたからね。どろんこ遊びの度を越えて「泥だらけすぎ!」とか先生に注意されたり、「帽子かぶりたくない」って校則を守らなかったり(苦笑)。生意気すぎて上級生から目をつけられてイジメられることもあった。自分を貫くには“戦う姿勢”が必要だと気づいたのはそのころかも。

 

陽介兄は昔から「攻め」の人。目的に向かって最短ルートをたどるんですよ。まっすぐ向かうための方法を考えて、行動する。荒々しい方法を取らなきゃいけないときもあるから、しょっちゅう怒られていたような…。

そんな兄の姿を見ていたのもあって、僕は保守的で慎重派です

 

琢也:優等生だったもんな、陽介は。怒られなくていいなーって思っていました(笑)

 

−真逆の性格なんですね。似ているところは?

 

琢也陽介:……。

 

−なさそうですね(笑)

 

陽介:しいて言うと“声”かな。あとは、負けず嫌いってところも共通点ですね。

 

>15年以上経った今、初告白。弟を想って動いた、兄の戦い。

 

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