「不自由なく暮らせればいい」OCEAN TOKYOに入るまで野心の欠片もなかった -OCEAN TOKYO 雨宮 雄三さん U29次世代美容師-(前編)

 

次世代美容師として注目される「U29美容師」のサクセスストーリーから、成長のヒントを「美容師のタマゴ」へお届けする企画「U29次世代美容師」。第39回目は、OCEAN TOKYO本店の店長の雨宮雄三(アメミヤユウゾウ)さん。CHOKICHOKIおしゃれキングに選ばれたこともあるファッションアイコンであり、超人気サロンOCEAN TOKYO でトップの指名数を誇るトレンドメーカーです。意外にも「美容師として熱くなるまで時間がかかった」という雨宮さんにOCEAN TOKYOに入るまでの足跡を振り返っていただきました。インタビューは前後編の2回。今回は前編です。

 


 

「中の中」のさほど目立たなかった学生時代

 

 

中学・高校時代の僕は、「中の中」といった感じのごく普通の学生でした。バスケ部ではレギュラーでしたけど、部員は5名。一人でも欠けると試合に出られない(笑)。茨城県の田舎に住んでいたので、部活帰りに寄れるファミレスさえもなく、刺激を求めていました。東京へのあこがれが強くて、高校を卒業したらとにかく上京したいと思っていたんですよ。

 

東京に出るためにはそれなりの理由が必要です。ただ、大学にも興味がないし、やりたいこともないし、どうしようかなと。ファッションや髪型には興味があったから、「じゃあ、美容師になろう」みたいなノリで東京に出てきました。

 

原宿にあるからという理由でベルエポック美容専門学校に進学。今活躍している同年代の美容師さんは、学校に居残ってストイックに練習していたとよく聞きます。でも、僕は居残りしたことはないし、学校が終わったらアルバイトにいくか、友達と遊んだりしていました。そんな感じだったので、美容専門学校の成績も「中の中」。ただ、卒業後に先生に聞くと、真面目な学生だったイメージがあるようです。先生の前でうまく立ち回れていたのかもしれません(笑)。

 

>カッコいい美容師にはなりたかったけど…

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