美容師小説

美容師小説

-第13話-­【1944年〜1946年 ロンドン】 ヴィダルのなかの“鉛雲”が暴れ出す  

 拒否された。

 

 ロンドン。ウエストエンド。メイフェア(Mayfair)。

 アルバマール通りのサロン『ハウス・オブ・レイモンド』。

 ヴィダルは受付にいた女性に言った。ミスター・レイモンドに会いたい、と。

 すると女性は即座に拒否した。

 「ダメです。会えません」

 「私どものサロンでは、あなたは働けません」

 

 理由は“英語”だった。

 「もし、あなたがヘアドレッサーの仕事をお探しであれば、お勧めしたいことがひとつあります。いいですか。ここウエストエンドで仕事を探す前に、あなたはまずコトバを勉強すべきです」(第7話参照)

 

 訛りだった。ヴィダルのコックニー訛り。ロンドンの下町・イーストエンドの労働者階級の言葉。それを直さないと、ウエストエンドでは働けないというのだ。

 

 くっそ。

 『ハウス・オブ・レイモンド』を後にすると、ヴィダルは毒づいた。

 

 くやしかった。屈辱だった。

 

 イーストエンドを離れ、ウエストエンドであたらしい自分をつくる。そのために、お世話になったコーエン“教授”のサロンを飛び出した。『レイモンド』に向かったのは“教授”が紹介してくれたからだ。だけど働くことはできなかった。ミスター・レイモンドに会うことすらできなかった。ウエストエンドで働くためには、まず“英語”を学ばなくてはならない。

 評価の基準とされたのは、ヴィダルが培ってきた美容の技術ではなかった。そんなもの、試してもくれなかった。その前に“英語”。

 わかった。話してやる。“英語”。キングス・イングリッシュ。上流階級のコトバ。

 

 英国は階級社会だった。貴族階級と労働者階級。その境界線は明確に引かれていた。上流階級の人々を顧客とするためには、上流階級のコトバを話さなければならない。ウエストエンドで勝負するには、ウエストエンドのコトバをマスターしなければならない。

 

 勉強を始めた。

 まずはラジオ。

 当時、ロンドンでは午後9時からラジオニュースが放送されていた。人気パーソナリティはアルヴァー・リンデル。ヴィダルはまず、そのラジオニュースを聴くことから勉強を始めた。

 

 アルヴァー・リンデルの発音は明瞭で、正確だった。

 

 イーストエンドでは『Mayfair』(メイフェア)を「マイフェア」と言う。『name』(ネイム)は「ナイム」。『take』(テイク)は、「タイク」。『rain』(レイン)は「ライン」である。それがいわゆるコックニー訛りの発音であった。そのひとつひとつを、リンデルは正しい発音で語る。発音だけではなかった。ウエストエンドの“英語”は、アクセントも抑揚もまったく異なるのだ。

 ヴィダルは聴いた。正しい“英語”を聴いた。毎日聴いて、徹底的に耳に馴染ませた。

 

 そのころ、ニュースの中心は戦争だった。

 1944年6月6日。ナチス・ドイツと戦う英・米をはじめとする連合国側は、北フランスのノルマンディーへの上陸作戦を敢行した。ドーバー海峡を渡った艦船は実に6,000隻超。動員された航空機、延べ12,000機。参加した将兵は約17万5,000人。これらのニュースが、次々と正確な“英語”で伝えられた。

 ヴィダルは毎日、ラジオを聴いた。するとさらに続々と、あたらしいニュースが伝えられる。

 連合国側は8月に、ナチス・ドイツに占領されていたパリを解放。翌9月にはベルギーの首都・ブリュッセルを解放した。ノルマンディー上陸作戦を契機として、連合国は急速に勝利への疾走を始めていた。

 

 その間、ヴィダルは再就職に成功している。目当ての『ハウス・オブ・レイモンド』ではない。だが、同じウエストエンドのシャフツベリー・アヴェニューにあったサロン『マック&ジョージ』に潜り込んだ。ヴィダルはヘアドレッサーとして働きながら、その店で交わされる会話からもウエストエンドの“英語”を学びつづけた。

 

 もうひとつ、ヴィダルが“英語”を学ぶために利用したものがある。

 演劇だ。

 

 水曜日はサロンの営業が午前中で終わる。幸運なことに、その日は若い演劇ファンにとってとくべつな日だった。

 マチネ。つまり、昼公演が行われるのだ。

 

 水曜日のヴィダルは午前中、積極的にシャンプーに入ってチップを稼ぐ。その稼ぎを手に、午後から劇場に向かうのだった。

 じゅうぶんに稼げた日は指定席をとって、ゆっくりと鑑賞する。稼げなかった日は立ち見である。たとえ稼げなくても、ヴィダルは劇場へ向かった。毎週、向かった。

 

 ロンドンは演劇の街だった。チェーホフ、イプセン、バーナード・ショウ……。ヨーロッパの偉大な劇作家の作品が競うように上演されていた。ヴィダルは一流の役者たちの演技に感動しながら、そのコトバを聴きつづけた。コトバがつくるサウンドを、洗練されたセリフ廻しを耳に刻んだ。気に入ったセリフがあれば、つぶやく。劇場を後にして道を歩く間も、バスを待つ間もつぶやく。

 コックニー訛りが染みついたヴィダルにとって、役者たちのセリフは真似をすることさえむずかしかった。それでも試みる。何度もつまずきながら真似をしてみる。すると耳で覚えたサウンドが、少しずつ自らの声とシンクロし始めるのだった。

 

 ヴィダルの“英語”が、変わり始めた。彼はそのあたらしい“英語”を、普段の生活でも使う。もちろんイーストエンドの旧友たちとの会話でも。すると旧友は言うのだ。

 「おまえ、なんダよ。なに気取ってンダよ。ふざけんナよ」

 ヴィダルは笑いものになった。次第に旧友たちから孤立していく。それどころか数人の友は、ヴィダルから離れていくのだった。

 

 仕方がない……。

 ヴィダルは受け入れるしかなかった。いくら友に笑われても、いくら友を失っても、ぼくは学ぶ。学びつづける。正しい“英語”を身につけて、人生を変えるのだ。

 

 

 終戦を、ヴィダルは『ヘンリ』というサロンで迎えた。

 1945年5月9日。ドイツは降伏。ヨーロッパにおける戦闘は終結した。ナチス・ドイツを率いたアドルフ・ヒトラーは、その9日前の4月30日に自殺。

英国や米国などの連合国は、枢軸国(主要国はドイツ・イタリア・日本)のなかで未だ降伏しない日本との戦いに全力を挙げることになる。

 

 

 ヴィダルは17歳になっていた。『マック&ジョージ』は、勤め始めて1年も経たないうちに辞めていた。理由はサロンそのものに興味をなくしてしまったこと。

 

 ヴィダルは「あたらしい美容師」になるために、コーエン“教授”のもとを飛び出した。ロンドンで一番の、最先端の技術を学ぶためにウエストエンドへやってきた。学んで、学んで、学びつづけて「今までだれも見たことがない美容師の姿」をつくる。しかし、『マック&ジョージ』には何もなかった。

 いや、技術はあった。お客さんもいた。だけどそれではコーエン・サロンと何も変わらない。唯一、ちがうのはサロン内で交わされる会話だった。たしかにコトバはウエストエンドの“英語”だ。しかしその内容は、ほとんどが男と女のゴシップだった。

 

 ヴィダルは成長を求めていた。自らが成長しているという実感に飢えていた。もしそれが感じられないのであれば、時間のムダだ。ここにいる必要はない。そう考えるのだ。

 

 つづいて就職したのは『ヘンリ』。

 場所はナイツブリッジ。高級百貨店『ハロッズ』の隣に位置していた。

 ボスのミスター・ヘンリは長身で、エレガントにスーツを着こなす男だった。もちろん接客時のマナーも洗練されている。ところが欠点もあった。それは短気。ミスター・ヘンリはかんしゃく持ちだった。スタッフがほんの少しでも彼の機嫌をそこねたりすると、鋭く叫ぶのである。

 「ここから出て行け!」

 そうして必ずこう付け加える。

 「おまえなんかハロッズに行けばいい!」

 

 当時、『ハロッズ』のなかに一軒の美容室があった。ミスター・ヘンリは常日頃からその美容室の技術力をバカにしていた。「あんなに低レベルのサロンが『ハロッズ』のなかにあるなど信じられない」と公言していた。だから「ハロッズへ行け」とは「おまえの技術なんかウチでは通用しない。そのレベルならばハロッズのサロンでじゅうぶんだ」という意味なのだ。

 

 

 事件が起きたのは、『ヘンリ』に移って3カ月が経ったころだった。

 

 その日も、ヴィダルはお客のヘアをカットしていた。その客は注文が多く、あれこれと指図する。ヴィダルのことを完全に見下した態度。しかも美容師の意欲をそそるほどのルックスもない。服もダサい。つまりなにひとつインスパイアされるものがない。だけど「お客さま」である。クライアントである。ヴィダルはお客のマナーに苛立ちながらも、最後までハサミを動かしつづけた。

 いつものようにウエーブをかけ、スプレーで固める。鏡を通して向き合うお客は、終始つめたい視線を送りつづける。来店した瞬間から変わらない高慢な態度に、ヴィダルのいらだちは膨らみきっていた。

 仕上げを終えてコームを置くと、お客が言った。

 「この髪型、好きじゃない」

 

 ヴィダルの右耳の上、頭蓋骨のなかでパチンと音がした。

 お客の目を、鏡越しに見据えながらヴィダルは言った。

 「ぼくも好きじゃないですね。でも、あなた自身にとってはこれがベストだと思いますけど」

 お客は一瞬にして逆上した。

 「なんだって? あなた本気で言ってるの?」

 ヴィダルは相変わらずお客の目を見据えながら、肩をすくめた。

 

 「ミスター・ヘンリを呼んで!」

 お客は叫んだ。

 すぐにミスター・ヘンリがやってくる。

 「ねぇミスター・ヘンリ、この若いの、どうにかして。私がこの髪型好きじゃないって言ったら、『ぼくも』って言ったのよ。厚かましいったらありゃしない。なんとかしてよ」

 ミスター・ヘンリは大げさに両手を拡げながら言った。

 「ご心配なく、マダム。もっと経験のあるスタイリストをつけますから。どうかお任せくださいませ」

 そう言うと、ヴィダルに向き直って人差し指を突きつけ、叫んだ。

 「クビだっ! 私のサロンから出て行け」

 その瞬間、ヴィダルの頭には聞き慣れたその次の言葉が浮かんだ。

 「おまえなんかハロッズへ行けばいい!」

 ミスター・ヘンリの言葉と、ヴィダルのなかに浮かんだ言葉がみごとに重なった。

 

 ヴィダルはすぐに荷物をまとめ始めた。いらだちは頂点に達していた。頭のなかはただひとつ。このサロンを出なきゃ。一刻も早く、おさらばしなきゃ。ここには学ぶことがなにもない。成長できる予感がない。兆しもない。ミスター・ヘンリにあたらしい技術はない。お客にもまったく魅力を感じない。そのファッションにも、求められるヘアスタイルにも、なにひとつドキドキしない。刺激がない。なんて退屈な日々だったろう。そう思うと、ますます腹が立ってくる。

 ヴィダルは『ミスター・ヘンリ』を後にした。もちろん、隣の『ハロッズ』には行かない。

 

 ナイツブリッジの大通りを、ヴィダルは早足で歩いた。地下鉄の駅に向かうわけではなく、バス停を探すわけでもなかった。ヴィダルは歩いた。ただ、歩いた。歩きながら、お腹のあたりに湧き上がる違和感と向き合っていた。

 

 その日も、ロンドンは曇り空だった。その濃い、灰色の雲のひとつがお腹のなかにいる。そんな違和感だった。しかしそれは雲ではない。重い。鉛のように重い。まるで“鉛雲”だ。その“鉛雲”は、歩くうちにどんどん大きくなっていく。膨らむのではない。次々と湧き上がってくる。

 ヴィダルは歩きながら音を聞いた。がちがちがち。ぎしぎしぎし。小刻みな音が脳に響く。気がつくと顎の付け根に力がこもり、顔全体がこわばっている。そうか、ぼくは歯を食いしばっているのか。この音はぼくの歯が鳴っているのか。

 

 憎悪。

 腹のなかに湧き上がるのは、どすぐろい憎悪だった。

 自分のなかにある憎悪が、急速に湧き上がっている。

 なぜだ。

 

 最初はあのお客のせいだと思った。クビになるきっかけをつくった、お客。いやちがう。この制御できないほどの憎悪。その根源は、ちがう。ぜんぜん、ちがう。ミスター・ヘンリでもない。もっと別なこと。

 

 父だ。

 不意に、実父のことを思い出した。3歳のときに、家を出た父。家族を捨てて、別の女性のもとへ行った父。ぼくを、捨てた、父。

 

 美容だ。

 どすぐろい憎悪の“鉛雲”は、また別の貌をつくり出す。旧い美容。つまらない美容。退屈な美容。ウエーブ。セット。スプレー。

 

 しかしすぐに“鉛雲”はかたちを変える。

 

 ファシスト(※)だ。

 ナチス・ドイツ。アドルフ・ヒトラー。そして、ホロコースト(※)。第二次世界大戦中、数百万人ものユダヤ人をガス室に送って殺したというファシストたち。

 

 気がつくと、街灯の下にうずくまっていた。ヴィダルは叫び出したい衝動と、懸命に闘っていた。肺は激しく動き、のどからは息が激しく出入りしている。脂汗が額を埋めている。

 

 街行く人たちが心配そうに囲んでいた。

 初老の紳士が声をかけてくる。

 「大丈夫かね」

 

 ヴィダルは答えられなかった。右手をほんの少し持ち上げて、大丈夫だと意思表示をする。それが精一杯だった。

 

 “鉛雲”は次々とかたちを変えながら、ヴィダルの憎悪を映し出す。やがて、心の奥から声が響いてきた。

 (ぼくはユダヤ人だ。ぼくはユダヤ人だ。ぼくはユダヤ人だ)

 

 “鉛雲”は、はっきりとその姿をかたちづくった。

 

 ぼくはユダヤ人だ。

 だからファシストと闘わなくてはならない。

 

 ぼくはユダヤ人だ。

 だからパレスチナに、ユダヤ人の国をつくらなくてはならない。

 

 『実父』も、『美容』もどこかに行ってしまった。

 

 

 ヴィダルの母は、筋金入りの『シオニスト(※)』だった。

 自宅はシオニズム(※)関連の本や文書でいっぱいだった。さらに母は自宅の居間で定期的に集会を開いていたのだ。集まるのは英国のシオニズムの活動家たち。

 居間での話は、すべてヴィダルの耳にも入っていた。

 

 終戦後、英国のファシスト連合のリーダーであったモーズリーが自宅監禁から解放された。するとドイツの敗戦によって鳴りを潜めていたファシストたちがすぐに活動を再開したというのだ。

 「イディッシュ(ユダヤ人)を消し去れ!」

 「この世から抹殺せよ!」

 ロンドンにはそんなシュプレヒコールが響き始めていた。

 

 一方、戦争が終わると、ナチス・ドイツの悪行が次々と明らかになる。

 ナチスは反ユダヤ主義を国是としていた。その国是に従って、あろうことかユダヤ人をこの世から消し去ることを目的とした大量殺戮計画を実行していたというのである。

 

 ヴィダルは、シオニストたちの集会で写真を見せられた。それは靴の写真だった。子どもの靴の写真だった。何枚も、何枚も、子ども靴だけが写っていた。たくさん写っていた。きちんとそろえられた靴。ちいさな靴。おびただしい数の、子ども靴。

 その総数を、活動家は「6万足」だと言った。

 

 「子どもたちはこの靴を脱いだあと、全員がガス室に送られた」

 

 活動家の言葉は、ヴィダルのなかのなにかを変えた。スイッチが、入った。哀しみよりも、怒りだった。驚愕よりも、憎悪だった。

 そうだ。あの日からぼくは身体のなかに“怒り”と“憎悪”を飼ってきたんだ。

 

 

 ぼくはユダヤ人だ。

 だからファシストと闘わなくてはならない。

 

 ぼくはユダヤ人だ。

 だからパレスチナに、ユダヤ人の国をつくらなくてはならない。

 

 1946年。

 戦争が終わって約1年。

 18歳になったヴィダルの情熱は、美容から完全に離れたところへ向かっていた。

 

つづく

 

 

※脚注

 

【ファシスト】

ファシズムを信奉する人々

 

 

【ファシズム】

全体主義、国家主義的政治形態。民主主義や自由主義を否定し、国家の名のもとに個人の自由を制限、独裁を志向する。元はイタリアの独裁者ムッソリーニが提唱。その後、ヒトラーのナチス・ドイツの政治形態にも使われた。

 

 

【ホロコースト】

第二次世界大戦中に、ナチス・ドイツがユダヤ人などに対して国家をあげて行った「大量虐殺」のこと。ナチスはドイツ国内や占領地に住むユダヤ人を拘束。強制収容所に送った。収容所では過酷な強制労働が課され、多数の死者を出した。さらに収容所では数々の人体実験、銃殺が横行。一度に大量殺戮を行うためにガス室をつくり、多数のユダヤ人を閉じ込めて毒殺した。ドイツによるホロコーストによって殺害されたユダヤ人は最少でも600万人、一説には1,100万人を超えるという。

 

 

【シオニスト】

シオニズムを支持する人のこと

 

【シオニズム】

「イスラエルの地(パレスチナ)」に、ユダヤ人の故郷を再建しようとする運動。つまり「シオン(Zion)の地に帰る」運動のこと。「シオン」とは、聖地エルサレムの丘の名前。1890年代に提唱され、1948年のイスラエル建国につながった。

 

 


 

☆参考文献

 

『ヴィダル・サスーン自伝』髪書房
『Vidal  Vidal Sassoon The Autobiography』PAN BOOKS

『ヴィダル・サスーン』(DVD) 角川書店