December 北田ゆうすけのびよう道 元フリーター、有名店最速デビューからオーナーへ “美容師の夢を守る場所”を自分でつくる
順風満帆とはいかない…最速デビュー後の試行錯誤

結局、僕は3年1カ月でデビューすることができました。当時の最速記録です。ただ、早くデビューできたからといって順調だったわけではなく、そこからが本当の試行錯誤の始まりでした。デビュー初月は売上130万円を達成できたものの、2カ月目には70万円まで落ち込み、その後も数字は安定しませんでした。
とにかくやらなければならないのは「お客さまをつくること」。そのために、休みの日も夜もひたすらモデルハントに出ました。渋谷駅や東横線の連絡通路に立って声をかけ続ける。最初は断られることが辛くて、正直かなり苦手でした。でも「自分がお客さまにしたいと思える人」に絞って声をかけるようにすると、少しずつ立ち止まってくれる人が増えました。モデルハントが得意な先輩にコツを聞いて、明るく、大きな声で、ネガティブに受け取られないように意識することで、ようやく成果につながっていったんです。

それでもデビュー直後は失敗だらけでした。「できます」と言って挑戦したのに結果が伴わず、クレームをいただいたこともあります。お客さまの期待に応えられなかったときは、本当に心が折れそうになりました。でも、立ち止まる暇はありませんでした。とにかく「量をこなすことで質に変わる」と信じて、数を積み重ねました。練習も営業も、時間と量を徹底して続けた結果、少しずつ技術の理解が深まり、自信も持てるようになっていったんです。
「顔まわりカット」で差別化。男性美容師がやらない領域に挑む

大きな転機になったのは、28歳のとき。子どもの誕生と、東日本大震災の直後という出来事が重なり、「家族を守らなければ」という強い責任感に突き動かされました。その瞬間からスイッチが入り、数字やお客さまの数が一気に伸びていきました。毎月250人以上を担当するようになり、ようやく美容師として少しずつ軌道に乗れたと感じられるようになったんです。
デビューしてから僕が自分の武器にしようと決めたのが「顔まわりのカット」でした。どんなに全体をきれいに仕上げても、前髪や顔まわりがうまくいかなければ、お客さまは毎日鏡を見たときに満足できない。逆に、そこがしっかりフィットしていれば、その人の印象も気分も大きく変わる。その事実に気づいてからは、徹底的に顔まわりにこだわるようになりました。

当時は男性美容師があまり着目しない領域でもあったので、あえてそこにこだわりました。顔まわりのバリエーションだけで表情を変えられるように、アレンジでも印象をコントロールできるように、とにかく丁寧に突き詰めていきました。その積み重ねが評価につながり、自分のスタイリストとしての軸になったと思っています。