「一番」の証明に挑み続ける。原宿『Lond un Maison.』『Lond re Maison.』代表・山野俊貴、クリエイションの軌跡

 

負けの記憶が火種に。8年で50回挑戦した理由

 

――入社後はすぐに作品撮りを始めたのですか?

 

半年も経たないうちに、本格的に始めました。「クリエイションをやりたい」と伝えたら、代表陣が「教えるよ」「撮ってあげるよ」と積極的に協力してくれたんです。モチベーションが途切れなかったのは、声をかけ続けてくれた代表たちのおかげだと思います。

 

SABFA、上田塾、照屋塾など、外部の学びにも積極的に通いました。サロンワークで売上を上げ、その収入をほぼ学びに全投入していましたね。その学びのおかげで、メイクもアップもカメラも、すべて自分で行います。





 

――そこまで挑戦し続けられた原動力は?

 

根底には、“負けた屈辱”があります。美容学生時代、全国学校連盟のカットコンテストに日美代表で出ましたが、3連覇中だったのに僕の代で負けたんです。600〜700人の中から3人が選ばれる大会で、2ヵ月で30台のウィッグを使って練習しました。めちゃくちゃ練習したのに負けた。それが悔しすぎて、負けた日の夜に「必ず業界トップになる」と誓いました。その悔しさが、ずっとエンジンです。

 

Lond入社1年目からコンテストに出続け、通過のみを繰り返して、ちょうど50回目が「JHA 2023」でした。そこでライジングスター優秀賞を受賞し、長年の悔しさから一度解放されたんです。本当に長い道のりでした。





――それほど強い想いがあったんですね。

 

ですね(笑)。今も大きなコンテストには挑戦しているんですが、負けると落ち込みます。先日はウェラのトレンドビジョンのファイナルで負けて、数日鬱っぽくなりましたから。ロレアルの日本大会は、ブロンズで3位でした。それも悔しすぎて、受賞コメントで「悔しい」以外の言葉が出なかったです。

 

クリエイションがサロンワークの「80%」を押し上げる理由

 

――クリエイションを続ける美容師は、どんな成長ができると思いますか?

 

圧倒的に“マインドセット”だと思います。アスリートが試合にピークを合わせるように、クリエイターも作品提出日に向けて120%のコンディションをつくる。それを繰り返すと、人として筋力がつくんです。一方でサロンワークは、どんな日でも80%を保ち続ける仕事。技術だけでなく、メンタルの持久力が必要です。クリエイションで最高値を上げると、その80%の基準が自然と底上げされます。結果として、サロンワークの質が上がり、売上も伸びる。そんな循環がありますね。

 

 

――山野さんはデビューも早かったんですよね。

 

23歳でデビューしたので、当時としては早かったのかもしれないですね。でも、自分の中では早かった感覚はないです。僕は同期がいなかったので、年上のアシスタントしかいなかったんですよ。育成という意味でも、特殊な経験でしたね。





 

――真面目で努力家な印象ですが、そのマインドセットはいつ頃から?

 

小3でサッカーを始めた頃かもしれません。それまで運動ができず泣き虫でしたが、「努力すれば伸びる」という成功体験をサッカーで得て、それが人生の基盤になった気がします。

 

 

――美容学生時代も、相当に努力されたとか。卒業時は学科・実技ともにクラストップだったそうですね。

 

誰よりも練習に没頭していました。郊外にあった学生寮に住んでいたんですけど、基本的に朝は6時の特急に乗って新宿へ行き、7時からカフェで勉強し、8時に登校。1時間朝練して授業を受けて、帰宅後も練習する日々でした。当時の僕はだいぶ生意気だったので先生は大変だったと思います(笑)。とは言え、今でも先生たちとは撮影をご一緒したり、変わらず交流が続いています。







>原宿で2店舗を率いながら、クリエイションを伝える


Related Contents 関連コンテンツ

Guidance 転職ガイド

Ranking ランキング