「ホワイトの神様」降臨。独学×直感×挑戦で切りひらいた、あっくんのブリーチ道。ホワイトカラーへの尖った美意識で、プロもこぞって来店
「ホワイトの神様」と名乗る20代美容師、あっくんが初登場。美容学生時代にブリーチに魅せられて練習を積み上げ、新卒入社した神奈川県のサロンで即スタイリストデビュー。それだけでも異色のキャリアですが、10ヵ月でフリーランスになり、そこで得た顧客を手放して大阪でゼロから集客という大胆な行動にも驚きです。難易度の高いホワイトカラーの技術に磨きをかけて、いつの間にか全国から美容師が来店する注目の美容師に。そして2024年7月、原宿のブリーチ専門店『MONIQA(モニカ)』の立ち上げメンバーとして再び上京しました。セミナーやオンラインサロンの講師としても活躍するあっくんに、これまでの道のりや現在の活動について聞きました。
アシスタント期間ゼロという規格外キャリア
――初めまして。お名前は「あっくん」とお呼びしてよかったでしょうか?
はい。どんな風に呼んでもOKです。お客さまの記憶に残る名前にしたくて、「あっくん」と名乗るようになりました。またSNSでは、21歳の時から「ホワイトの神様」というキャッチコピーを自ら掲げています。ホワイトブリーチの分野で少しでも多くの方に見つけてもらえるようにという気持ちからです。検索に引っかかりやすくするための工夫でもあり、自分へのプレッシャーでもあります。正直、21歳で“神様”なんて肩書きはおこがましい。でもあえて名乗ることで、自分を鼓舞し、先に名を広めようと決めたんです。
――ブリーチ技術にハマったのはいつですか?
美容学校時代からブリーチは好きでしたね。いろんな履歴を持った女友達に「無料でブリーチするから」と声をかけて、毛先3cmくらいだけブリーチをさせてもらっていました。「このカラーにはこんな反応するんだな」とか、「ここまでやったら髪はちぎれるんだ」とか、実験と検証を繰り返していたんです。自分の中では在学中に知識と技術を積み上げてきたつもりでしたが、実際に働き始めてから髪の根元と毛先の反応の違いや、ヘアケアのことがわかったりして、そこから策を練りながら毎日練習してましたね。
――大阪の美容学校を卒業して、新卒で入社したのが神奈川県の地域密着店だったそうですね。どんなサロンだったんでしょうか?
僕はもともとカットで有名なサロンに絞って就活していたんですが、途中から「やっぱりブリーチがしたい」と気持ちが変わったので、2次募集のタイミングでブリーチデザインで人気のあるサロンに的を変えたんです。でも、なかなか合格をいただけなくて。そこから視点を変えて、美容学校卒業後に最速でスタイリストになれるサロンを全国レベルで探し始めたんです。そんな時、”スタイリスト入社を始めます”という、あるサロンの広告を目にしました。アシスタント期間をすっ飛ばしてスタイリストになる、ということに惹かれて、新卒入社するに至ったというわけです。
美容学校卒業と同時にスタイリストとしてチャレンジできることから、同期には、前向きな人が全国から集まっていました。僕はブリーチ推しでしたが、ショートやメンズカット、白髪染めなど、スタッフそれぞれが自分の看板メニューを設定していました。カットは定期的に合同練習の時間がありましたが、他店のように教育カリキュラムがあるわけではなかったので、先輩から学んだり、外部セミナーに参加して学びましたね。昔からわりと器用な方だったので、人の技術を見ればだいたい同じようにできたんです。
――集客は、どのように?
僕は学生時代にTwitter(現・X)をしていて、フォロワーが万単位いたんですね。なので、Twitter上でヘアスタイル写真やクーポンを投稿して、あとは営業後に街でハントしてましたね。3ヵ月くらいかけて少しずつ客数が増え、7月から70人、80人と呼べるようになり、独立願望がぼんやり湧いてきたんです。そして次のステップとして選んだのが、フリーランス美容師です。もし自分がこれからフリーランスとしてやっていくなら、東京より大阪の方が戦いやすそうと思いました。それで翌年2月に退社し、大阪でフリーランスとして活動を始めたんです。東京から離れることになるけれど、大阪で頑張って自分の名前が浸透すれば、東京にまた戻るチャンスが作れるんじゃないかなって。