教育もクリエイティブの一環だ。40歳で迷いがなくなった。順風満帆なサロン経営の秘訣―10年サロン「ABBEY」のブランディングストーリー前編

2002年〜2006年 チームデザイン期

「おもしろいことをやっている」手応えを感じた『BAPE CUTS』

 

 

『ABBEY』がオープンしたのは2007年ですが、実質的には『BAPE CUTS』という美容室が前身です。2002年にそれまで働いていた『PEEK-A-BOO』を退社し、『BAPE CUTS』を立ち上げました。

 

『BAPE CUTS』は、『A BATHING APE』というファッションブランドの関連事業として始動したサロン。当時、僕が『A BATHING APE』のプロデューサーのNIGO®︎くんと仲がよくて、原宿の同じコミュニティに出入りしていたことがきっかけです。

 

当時から『A BATHING APE』は勢いのあるブランドでしたし、実際に『BAPE CUTS』を出店できたときはうれしかったです。自分はおもしろいことをやっているという手応えがありましたね。

 

サロンを経営していくことも、クリエイティブの一環だと学んだ

 

 

『A BATHING APE』の人気もあって、サロンの売上は安定していました。オープン当時のスタッフは15人。スタッフはオーディションで選んだのですが、最初のころはみんなをまとめるのに苦戦しました。当時の僕には店長の経験はあっても、経営者の経験はありません。スタッフに技術を教えたり、マネジメントをしたり、精神面のケアをしたり…。さまざまな業務をこなす中で、どうしても目の届かない部分が出てきてしまったんです。

 

そんなことも原因となり、オープンから半年後、5人ほどのスタッフの間で仲違いが起きてしまいました。

 

当時の僕は、スタッフ同士の人間関係よりも、もっとクリエイティブなことに頭を使いたいと思っていました。些細ないがみ合いより、ヘアデザインや、お客さまを楽しませることを考えたかったんです。その思いをスタッフに正直に伝えると、5人がいっせいに辞めてしまいました。これは、予想外でした。仲違いをしているうちの何人かは僕の話を理解してくれると思っていたんです。

 

この経験以来、スタッフのマネジメントも、クリエイティブの一環なんだと考えるようになりました。今まではいいヘアを作って、お客さまに喜んでもらえることが大切だと思っていました。しかし、会社を立ち上げたなら、マネジメントやスタッフのケアも大事。このままじゃ駄目だと気づかされた、僕のターニングポイントになった出来事です。

 

それ以降は、僕自身が変わろうと努力したと同時に、残ったスタッフも力を尽くしてくれました。みんなが「僕たちが店を守ります」と、これまで以上に頑張ってくれたんです。15人いたスタッフが10人になってしまうと、単純計算で一人の仕事量は1.5倍。でも、その分みんなが力を合わせてくれて、スタッフ間の絆も深まりました。

 

サッカーでも、一人がレッドカードで退場すると、残った選手が結束して逆に強くなることがありますよね。それと同じで、ピンチをチャンスに変えられたんだと思います。当時のスタッフの中には、今も残ってマネジメント層として活躍をしてくれている人もいますし、今につながる出来事だったと感じています。

 

>『BAPE CUTS』を『ABBEY』に。物件探しやスタッフ採用で松永さんが大切にしていることとは?

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