「大阪と東京のくくりはナンセンス」LESS IS MORE代表 西村氏の大阪から世界へ飛び出せたワケ

2015.07.22

 

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エッジの効いたスタイルを提供し、感度の高いお客さまから熱い指示を受けるサロン『LIM』。実は昨年(2014年)、創業30周年を迎えた老舗サロンだということはご存知でしょうか?

1984年に大阪府八尾市からはじまったLIMは、心斎橋へ移転・拡張、2006年には東京進出、そしてシンガポール、さらには2014年ロンドンにまで出店を拡大し、海外にもファンを増やし続けています。

30年間のLIMの歩み、大阪の街から世界に広がったプロセスについて、LESS IS MORE代表 西村氏にお伺いしました。

 


 

スタッフ全員と決めた、心斎橋出店

 

-はじめに、LIMの成り立ちをお伺いさせていただけますか?

 

「大学卒業してから3年間、横浜で営業マンをやっていましたが、25歳のときに美容師の道に進んだんです。東京のサロンで見習いをしながら、美容学校に行っていました。その後、30歳で地元大阪に戻り、八尾というところで自分のサロンを立ち上げました」

 

-前々から30歳でサロンを立ち上げる、という目標は立てていたんですか?

 

「そうですね。30歳くらいとは思っていました」

 

-心斎橋へ移転されたのは?

 

「心斎橋への出店までは5年かかりました。八尾で創業して、3年目に八尾のお店を50坪くらいに移転拡張をしました。15人くらいになったタイミングで、スタッフも技術面でも成長していて、さらにスタッフを伸ばすために別のフィールドをつくろうと思ったんです。スタッフに『心斎橋にテスト出店しようと思うんだけど、八尾に残りたい人』と聞いたら、みんな大阪の中心でやってみたい気持ちがあったみたいで、八尾に残りたい人がゼロでした。じゃあみんなで頑張ろうって言って、八尾のお店を引き払って1993年に心斎橋に出てきました。八尾のお客さまを手放すことになるので、とても悩みましたけどね」

 

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南船場の現在のLIM + LIM

 

-心斎橋店オープンの際には、何かビジョンや目標は立てていたのでしょうか?

 

「そのときはそんなに高い志はなかったです。目の前のことを一生懸命やっていくだけでした」

 

-そういった転換期には、スタッフと一緒に選択をするのでしょうか? 

 

「そうですね。僕の夢の実現だけでなく、スタッフたちも同じ夢を持ってもらうために、人が増えてもそういう選択はみんなでしないとダメですよね」

 

-お店の略歴を見ていて気になったのが、1996年の南船場地区へ出店の際、今でこそ当たり前になりつつある、カフェを併設してのオープンをされていますが、1996年当時にこういった形態の出店は革新的だったと思います。どういった経緯でこのようなお店にしたのでしょうか?

 

「たまたま出会った物件が1階から3階まであるもので、このフロアをどうやって活かすかっていうのを、みんなで相談したんです。

その当時のサロンは施術を受ける人しか入れないような雰囲気で、(サロンが)お客さまに開かれていないと感じていました。じゃあ間口を広げて、その地域の人達が気軽にお店に来てもらうためにはどうすればいいのか。というのを、当時の美容師兼プレス担当に投げかけたんです。

 

そうすると、その担当者が、LIMというサロンを知ってもらうために広告宣伝をしようと思うわけです。でも広告宣伝費の予算が限られている。じゃあ広告を打たなくてもいいサロンをつくろうと気がついたんですね。

それでいろいろ考えて、カフェだったらお客さまも入りやすいし、話題性もある。など、いろいろな要素があって、1階をカフェ、2階から3階をサロンにしました。そのタイミングで店名を“LESS IS MORE”から、頭文字を取って、“LIM”にしたんです」

 

>東京進出に必要だったこととは?

 

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