砂原由弥さん。ヘアライター佐藤友美がみた”美容師列伝” 第19回「抱きとめる人」

2017.11.30

「ヘアライター佐藤友美がみた 美容師列伝」。日本全国の美容師を取材してきたヘアライターの目線から、毎回「●●な人」を紹介し、その素顔に迫る新企画です。第19回めはUMiTOSの砂原由弥さん、「抱きとめる人」です。

 

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(イラストレーション:カツヤマケイコ)

 

細い体と揺らがない芯と

 

ライターになった私が初めて撮影で出会った美容師さんが、砂原さんでした。今から17年前のことです。ヘアアレンジのページだったのだけれど、次から次へと新しいスタイルが生み出される指先を見ながら、なんなのこれ魔法なの? 美容師さんて魔術師なの? そんなことを思ったライター初日だったわけです。

 

砂原さんは、当時20代だったし、華奢な人だったけれど、その存在感はとても大きかった。どこか地に根を張っているような安定感があって、この安定感の正体は一体何なんだろうなあと、幼心ながらに(私もその頃は若かったんですよ)思った記憶がありました。

 

カリスマ美容師の世代に揉まれながら、アシスタント時代から撮影の指名を勝ち得て活躍した砂原さん。

これはあとから知ったことだけれど、当時の砂原さんは、サロンワークに撮影に、そして芸能人の方々から直接指名で依頼されるヘアメイクの仕事にと、休みなく走り回っていて、平均睡眠時間が数時間といった毎日を過ごしていたらしい。私たちのような雑誌媒体の取材にこたえてもらうのは、大抵23時を超えてからだった。私たちは終電に間に合うように取材を終えて家に帰っていたけれど、おそらくそのあとも、いろんな仕事をしていたんだろうと思う。

 

デザイナーとしての砂原さんは、とてもストイックだった。技術に対する解説も迷いがなかった。当時私は、タレントさんのヘアスタイル写真から、そのカット構造を分析してもらうシリーズを砂原さんにお願いしていたのだけれど、平面の写真から、立体の構造を読み解くのがとても上手な方だった。

現場できゃぴきゃぴとはしゃぐ人ではない。若いときから、悟ったような老成した雰囲気があった。いつもモデルさんより一歩下がっていて、でも何か尋ねたいなと思った時には不思議とすっと横に寄ってきてくれる人だった。

 

ある時、砂原さんのお母さんの話を聞いたことがある。お母様もやはり美容師だったそうだ。まだ小学校にもあがらない歳の砂原さんを、家の柱にくくりつけ、何度も何度も着物の帯の結び方を練習していたことを教えてくれた。

ああそうか。あの細い体に揺るがない芯があるのは、きっとそんなお母さんの背中を見て育っていらしたからなんだなあと、妙に納得したのを覚えている。

小さい頃から努力の「形」をちゃんと見てきた方だから、自分が前に進むときに努力や我慢が必要であることに何も疑問を持ってないのだろう。あの細い腕で、芸能界を渡り歩く海千山千のタレントさんたちを抱きとめることができるのも、きっと、体幹に揺らぎがないからなのだろうなと思ったのです。

 

そんな砂原さんが表舞台から一度姿を消したのが10年ほど前のこと。お子さんを出産されたらしい。房総半島まで行けば切ってもらえるらしい。当時まだ検索サイトもなかった時代、多くのお客さまと芸能人の人たちが、そんな噂を聞いて「海と砂原美容室」に押しかけた。

砂原さんは、その房総半島のサロンで髪を切りながら、2時間以上かけてヘアメイクの前線に復帰していた。

 

表参道にUMiTOSがオープンしたのは2011年のこと。

久しぶりに再会した砂原さんは、母になり、経営者になっていた。 

 

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