フォロワー40万人を1年強で獲得。国内外でカット講師としても活躍するオーナープレイヤー・呉等至が挑んだSNSと、離職率に悩んで導き出した正解とは
基礎技術を身につけて渡英。2年後に帰国し、出店へ

――呉さんは、ロンドンで美容師として働いていたそうですが、もともと海外志向だったとか?
そうなんです。専門学校を卒業したらすぐ海外に行こうと考えていたんですが、海外経験のある美容師さんから「基礎技術を身につけてからの方がいいよ」とアドバイスを受けて、都内の技術サロンで3年半修行してから、100万円だけ持って渡英しました。当時は英語を全く話せなかったので、最初はホームステイをしながら語学学校で4ヵ月ほど英語を学び、そのあとでヴィダルサスーンに3ヵ月間通いました。それまで学んだことがなかった技術に触れることができたこと、そしてモデルを毎日カットできるという環境がすごく良くて、いい経験になりました。そのあとは現地の美容室でサロンワークをしながら、雑誌やミュージックビデオのヘアメイクのアシスタントもしていました。

日本は美容免許を取得すれば誰もが美容師として働けますが、イギリスは職業選定を受けて15歳からサロンに入り、そこで頭角を現した人だけが活躍できる職業です。だから社会的な位置付けが高く、とても尊敬されていますし、仕事をする上でも”個“が強いんですね。僕がいた当時は美容室の料金が高く、若い世代は美容室に通えず自分で切っている人が多くて。経済的に豊かなミセスしか来店できないという状況でした。パーマも極細ロットで巻くカーリーヘアくらいしかなくて、スタイルの幅は日本の方が広いと感じましたね。シャンプーの技術も、日本の方が圧倒的に高いですから。

――2年で帰国したのは、日本で働くためでしたか?
そういうわけではなくて、ビザの関係で一度帰国しました。東京で働くか、再び渡英するかを考えていたんですが、お世話になった先輩が出店したばかりで、声をかけていただいたので入社することにしました。チームで働くのが好きでしたし、そこで4年半ほど楽しく働かせてもらいましたね。

――その後、『DECO』の出店で独立ということですね。独立願望は、美容師になった頃からあったとか?
ありました。33歳のとき最初の店を渋谷にオープンしたんですが、55坪という広いスペースで、スタイリストは僕を入れて3人というスタートで。最初の1年は自分のスタイルを出し過ぎてうまくいかず、赤字でしたね。つぶれそうになりましたけど、2年目からは集客サイトを活用し、お客さまに寄り添ったスタイル発信に変えたことで、うまく回り始めました。自分の考え方を改めて、柔軟になったことが良かったんだと思います。経営のイロハも分からない状態でしたから、少しずつ勉強していきながら前進してきた感じです。
