ARMONYしまさん初登場【厳しさも不条理も、すべてが自分の成長の糧】マンツーマンサロン展開の裏にあった、徹底した自走思考。ストレスなき高単価サロンの真実
“教わらない”からこそ身についた、自走する力
――技術的なベースはどこで培われたのでしょうか?
特定の師匠がいるというよりは、自分で習得した感じですね。ケミカルのセミナーや、流行の技術を外部で学んだり。あの環境は厳しかったですが、「学びたい」と言えばセミナーの受講費を投資してもらえる文化もあったので、そこは活用していました。

――コテ巻き風パーマの原点は?
かなりシンプルな理由です(笑)。オーナーが材料費を削減していく方針だったので、勤務先サロンに十分なカラー剤がなかったんです。当時は外国人風カラーが流行っていたんですが、カラー剤が手元にないからカラーの提案はできない。「じゃあ別軸で勝負するしかない」と考えて、パーマに振り切りました。
最初は「つけデジ」でしたが、コテっぽさの再現性に限界を感じて、「デジ」(デジタルパーマ)に移行しました。乾いた状態でもカールがしっかり残るので、お客さまの再現性が圧倒的に高くなるんですよね。「つけデジ」は薬をつけながら巻いて加温する。「デジ」は薬を塗って一回流してから加温する。その施術工程の違いで、カールの質感が全く変わってきます。

――「デジ」に移行してからの反応はいかがでしたか?
かなり良かったです。ドライした時でも、カールの立体感がそのまま残るので、お客さんにとっても巻く手間から解放されます。リピートにも繋がり、技術としての手応えもありました。施術時間が30分ほど延びましたが、その分単価も上げられると判断して、その後、価格も調整しました。
――集客面では何をされていましたか?
ブログは毎日書いていました。「何1000文字以上書かなければ帰れない」というルールがありまして(苦笑)。書いたブログはオーナーから厳しく添削されるので、続けていくうちに自然とマーケティング視点が身につきました。加えて、撮影も月20日以上やっていましたし、動画編集もしていました。今振り返ると、集客・ブランディングに必要な要素はこの時期にほぼ網羅して経験できたと思います。

解雇。そして拠点をシェアサロンに
――その後、フリーランスに転向されますよね。
退職の意思を伝えたところ、トラブルがありまして。その顛末をSNSに書いたら、その日のうちに解雇になりました(苦笑)。今考えると僕の行動は未熟でしたが、結果的にはいい転機だったと思います。すぐに働く拠点をシェアサロンに移し、完全マンツーマンの施術を行うようになりました。
当時はベテラン美容師さんがフリーに転向するという流れがあったので、24歳でフリーランスになった僕はかなり珍しかったと思います。「なぜ伸びないのか」を分解して、仮説と検証を回し、感覚だけではなく、ちゃんと考えて改善していく。すべて自分で考えて、意思決定できるフリーランスの働き方が合っていましたね。
――1社目は閉店、2社目は解雇。2社とも、最後のお給料の支払いがなかったということ?
もともとお金をあまり使わないタイプなので、生活に困ることはありませんでした。意識しなくても自然と貯金が増えていくような感覚でしたし、そもそも自分はお金をモチベーションにするタイプでもなかったので。
