異色キャリア美容師4名に聞く、仕事を辞めて美容の道に進んだ理由

「絶対イスラエルに行きたい!」編集者とヘアメイクを経験し、25歳で美容師の道に ―MINX桜井智美さん

 

 

――編集者になった経緯を教えてください。

 

通っていた短大で、世界の文化を学ぶ授業があったんです。その授業の教授がイスラエル文化を研究している方で、授業を受けるうちに、「卒業したら、1年間くらいイスラエルに行ってみたい」と思いはじめました。そのことを教授に話すと、「ちょうど知り合いが『地球の歩き方』のアルバイトを探しているからやってみない?」って紹介してくださったんです。社会勉強とお金を貯める目的も兼ねて、学生のころから「地球の歩き方」などを手がける編集プロダクション(以下、編プロ)でアルバイトをし、大学卒業後も、2年間契約社員として働きました。

※地球の歩き方(ダイヤモンド社):海外の観光情報がまとめられた有名なガイドブック

 

当時は、締め切りに追われて家に帰れないことも多く、人生で1番か2番目くらいに忙しかったんですが、文を書いたり、読者のお手紙を最初に読めたり、いろんな国の状況を知れたりするので、すごく楽しかったですね。

 

書籍にはしっかり桜井さんのお名前も! 右)MINXアシスタント時代に一人旅したタイ

 

――編プロを辞めたのはなぜですか?

 

22歳のときにイスラエルに行く予定だったからです。しかし当時は、湾岸戦争の渦中。完全に危ないですよね(笑)。両親には絶対反対されるだろうと、内緒で日取りを決め、飛行機も取り、仕事も辞めて、日本を発つ準備をしていました。そして行く10日前に「1年間イスラエル行ってくる」って両親に伝えたんです。そうしたら「はい? おまえは何を言っているんだ」って言われて、両親が慌てて新潟から東京にきて、家族会議になりました。

 

両親には反対されたのですが、決めたらやらないと気が済まない性格なので、ムキになって絶対行くと主張したら「縁を切る」とも言われて。両親とは1回喧嘩別れをしました。

 

しかし、出発3日前に弟が「姉さんこれを読んでからもう一回考えてくれ」って両親からの手紙を持ってきたんです。手紙には、「そんなところで死なせるためにお前を育ててきたんじゃない」「そんなに遠くに行かれると、急に困っても助けに行くことができないから、せめて嫁に行くまでは日本にいてくれ」と書いてありました。急に親不孝な気持ちになって、イスラエルに行くのは1回取りやめました。

 

目標がなくなってしまったので、もう1回家族会議をすることに。小さいときから友だちの髪の毛を切ったり、ファッション通信やテレビでコレクションを見たりするのが好きだったので、本当に思いつきで「じゃあヘアメイクになる」って宣言したんです(笑)。後に引けなくなって、「地球の歩き方」の先輩の知り合いのヘアメイクさんにいろいろお話を聞き、22歳で資生堂学園に入りました。

 

――ヘアメイクから美容師になった経緯を教えてください。

 

卒業後に資生堂ビューティークリエーション研究所を受験し、ラッキーなことに合格しました。有名な方がたくさんいらっしゃるアトリエ兼サロンでしたし、一つのメゾンのクライアントに対して、クオリティを落とさず、チームで同じものを作るチームワークを間近で見ることができたのは大きな経験でした。

 

しかし、チームですので、大御所の方以外は自由に表現できないことがあります。そんなとき美容雑誌を見ていて「かっこいいな」と思った作品がいつもMINX会長の高橋や、岡村、鈴木の作品でした。「もしかしたら、カットするということは、一人ひとりのお客さまにオーダーメイドなデザインができる。だったら、私は美容師がやりたいのかもしれない」と思い、25歳のときMINXに入社しました。

 

――別のキャリアを歩んできたことで苦労したことはありますか?

 

美容学生時代と、MINXに入社したときの二回あります。

 

まず美容学校に入ったときは、同級生が高校卒業したばかりの若々しい子たちばかりで、最初は馴染めるか不安で自分の歳も言えませんでした。

 

同級生は働いたことがないので緊張感のない雰囲気になるのは当たり前だと思うのですが、温度差を余計感じたのは、編プロの現場がすごく厳しかったのと、4年遅いスタートという焦りがあったからかもしれません。

 

仕事自体がハードだったですが、先輩にアナウィンター(米版『VOGUE』の編集長)みたいな方がいらっしゃって。決してその方が嫌いなわけではないのですが、朝のコーヒーの淹れ方ひとつで、機嫌が違うんです。そのときは何とも思わなかったのですが、あとになってその先輩のことを友だちに伝えたら「いや、おかしいよ」って言われて、普通ではない職場環境に気づいたんです(笑)。そういう厳しさも味わってきたので、学生ってちょっと呑気だなあって(笑)。それに加えて私、技術が本当に下手だったんですよ。ワインディング1本巻くのに15分かかったりして、安易に美容学校に入ってしまったことを軽く後悔しました(笑)。

 

MINXに入社したときは、「早くスタイリストデビューしなきゃ」という焦りがありました。周りの同期が4〜6個下でしたから、さらに「うわあーやばい」って。2年は資生堂のアトリエで働いていたので、シャンプーぐらいはできると思っていたのですが、お店ごとにやり方がまったく違うので、またゼロからスタートです。

 

できることは全部やり、朝から晩まで練習して、家帰ったら玄関で寝落ちしているみたいな生活でした。デビューしたのは29歳。あと1年は早くデビューしたいと思っていたので、思っていたよりも遅かったですね。

 

――これまでの経験で仕事に活きていることは何ですか?

 

美容学校を卒業してストレートに美容師になった方たちよりもいろんな経験ができたことです。編プロのときに、大使館など普段出入りできない場所にいるいろいろな方に取材させてもらったので、「この人の笑顔はいいな」「この人の受け答えは素敵だなあ」「こういうことはやっちゃだめだな」ということを学べました。そういった経験からいろんなお話ができるようになっているのかなと思います。それに、お客さまの中には仕事やプライベートで大変な状況な方もいらっしゃると思うんですが、私の実体験をお伝えすると「じゃあ、それよりはマシですね」って、励ましのネタにもなります(笑)。

 

また、お仕事でいただいたラフを見ると「だいたいここにこういう感じでやりたいのかな」とか、「ここのコメントはこういう感じの内容がいいんだろうな」とか。編集者時代の癖なんですが、そういう理解もできたりします。

 

――別のキャリアを歩んできたからこそ感じる「美容師」の魅力とは?

 

いろいろな方の人生に寄り添えること。

 

MINXに入った当初は、最初からMINXに入ってゼロから学べるスタッフがうらやましかったです。美容を志すのは早いほうがいいですし、遅いと結局デビューも遅くなってしまいますから。「ああ、遠回りしちゃったな」という思いがありました。しかし、今はたくさんの経験を持てたことが結果的にすごくよかったなって思います。

 

イスラエルもいずれ旅行で行きたいなと思っています。実は何回も行こうとしているのに、ご縁がなくて…。「何月からイスラエル行くぞ!」と決めていると、大きい仕事が入ったり、お婆ちゃんが病気になったりして、不思議と行けないんですよね。でも、いつかは行けるだろうと思っています(笑)。

 

プロフィール
MINX
トップデザイナー・執行役員/桜井智美(さくらい ともみ)

イスラエルに1年間行くことを目的に、短大時代から「地球の歩き方」などを手掛ける編集プロダクションに勤める。卒業後も編集プロダクションで仕事に従事し、22歳のときにイスラエルへの渡航が確定するが、両親の反対もあり断念。22歳で資生堂学園に入学し、卒業後は資生堂ビューティークリエーション研究所に所属。25歳でMINXに入社し、現在はMINXのトップデザイナーと執行役員を務める。

 

 

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