福岡Skill代表・河野雅昭、止まらない否定されない新時代の経営論。天神大名で暗中飛躍、東京からのUターン出店で快進撃!

 

 

都内有名メンズサロンの出身で、デビュー初月から群を抜く売上で頭角を現していた河野雅昭(かわのまさあき)さん。デビュー1年後、突如として人気スタイリストの座を捨て、地元の福岡でいちからスタートする道を選択。そこから約1年半後に福岡・大名にてメンズサロン『Skill(スキル)』を立ち上げ、瞬く間に人気店へと導かせました。翌年には東京にも進出。3名でスタートしたお店は来年には50名規模へと拡大、今後さらに店舗が増えていくそうです。若手代表の一人として福岡で名を馳せる河野さんに、その快進撃の道のりと今後の動きについて伺いました。

 


 

学なしで社長になるには、どうしたら…?

 

幼い頃からの夢は「経営者になる!」こと。高校卒業後は自分で道を切り開くために進学以外の道を模索しました。1年間フリーターをしながら、どうしたら実現できるかをずっと考えていましたね。バイクで日本一周に挑戦したこともありました。寝泊まりは基本的に野宿(笑)。あちこち旅して、バイクに乗っている間はあれこれ考えて。いいバイクやいい車に乗りたい、モテたいという気持ちはあったんですけど(笑)、学がないしどうしようと。それでたどり着いたのが、美容師でした。母は美容師なんですよ。でも父は経営者なので、かなり反対されました。当時の美容師は離職率が高くて稼げないというイメージでしたからね。


なんとか説得して1年後に福岡の美容専門学校に入り、そこで日本一人気のメンズサロンを探し、東京の『LIPPS』に焦点を絞りました。そこに入社して何かしら一番になれたら、自分も日本一の実績を作れるんじゃないかと思ったんです。メンズを選んだのは、歴史が長いレディース業界で突き抜けるのは難しいかなと思ったから。メンズ市場はまだできあがったばかりのタイミングだったので、そっちを選択しました。福岡にはまだメンズサロンもなかったですし、学校の中でも『LIPPS』に就職したのは僕が初でしたね。

 

上京して、すぐにSNSに取り組み始めました。ちょうどインスタが流行り始めていた時期だったので、一番をめざすならこれだと思ったんです。投稿内容はセルフセット。何回かバズらせることもできて、アシスタント時代のフォロワーは4万人いました。サロンのブランド力も大きかったと思いますが、当時は長めの束感スタイルが流行っていた中で僕は短髪ブリーチカラーのジェットモヒカンで売っていたので、それも良かったのかもしれないです。”ジェットの神”と呼ばれ(笑)、フォロワー数は退社するまでずっと社内で一番でした。


ちょうどスタイリストデビューのタイミングで大阪のオープニングメンバーに手を挙げ、東京を離れました。今後のために、新天地でのサロンの立ち上げのノウハウを見ておきたかったんです。こうして僕のスタイリストとしてのキャリアは大阪で始まったわけですが、フォロワーは関西に多かったこともあり、デビュー初月分の予約は5分で売り切れました。初月売上200万を達成し、LIPPSの中で歴代一位になれたんですけど、そのあと僕の記録も後輩に抜かれちゃいました(笑)。

 

スタイリストデビュー直後から毎日3枠でずっと満席でやらせてもらって、サロンワークが大好きになっていきましたね。ですが経営者になるという目標があったので、1年間しっかりやったタイミングで福岡に戻ることを決意しました。





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