2019年、頂点を極めたヘアサロンから飛び出した“武闘派美容師”の生き方−LATTE/河上 誠一郎さん−

死ぬ気でやれば自分の能力を爆発させられる!と海外旅行で気付く

 

 

スタイリトデビューしたのは3年目のこと。そのサロンではかなり早かったのですが、売上は伸び悩んだんですよね。フリーでくるお客さまがいるサロンではなかったからチャンスが少なかったし、今のように集客ツールを持っていませんでした。ハントはしていたんですが、それでも限界があるじゃないですか。鳴かず飛ばずの時期が数年続き、チャンスを求めて別のサロンに転職しました。そこでもモヤモヤした気持ちがあったのですが、知人の紹介で、まだできて2年目くらいのALBUMに入ることにしたんです。

 

前のサロンとALBUMとはサロン運営の仕組みが全く違います。前のサロンでは月給15万円くらいだったのが ALBUMに入って50万を超えるし、時間も増えるしで、遊びまくっていたんですよね。海外旅行にも行きました。

 

でも、そこでハッと我に帰ったんです。世界には、毎日生きるか死ぬかのギリギリで、数百円くらいのお金を命がけで稼ごうとするくらい、本当に必死で生きている人たちがいます。その様子を見て、僕もそのくらい必死にやったら、自分の能力を爆発できるんじゃないかと思ったんですよね。帰国後、怒涛の毎日が始まりました。

 

 

今もALBUMで活躍しているNOBUさんがちょうどInstagramで集客を始めた頃でした。NOBUさんは1日に3つとか4つとか作品をアップして、物凄い熱量でそれを続けたから、バーンッとブレイクしたんですよね。あっという間に、フォロワーは数万人という規模になりました。

 

それなら僕は6から7作品をあげたら、倍伸びるなと思って、本当にやったんです。海外から帰国した時が33人。20日で1万人突破を目指したんですが、結果は1000人ちょっと。でも、そのままの熱量で2ヶ月したら、1万人になりました。モデルさんはもちろん、空き時間にもスタッフの髪を借りて何本も何本も撮影していましたね。

 

ALBUMはマーケティングが得意な会社で、トレンドをリサーチしてそれをすぐにシェアしてくれるんですよ。僕は素直にそれを聞き入れて、作品に反映させていました。そして役2年でフォロワー10万人を超えるまでになったんです。

 

圧倒的な努力でALBUM SHINJUKUをNo.1サロンに導く

 

 

一方で、スタッフの教育には苦労しました。僕は感覚で覚えるタイプなので、感覚的にしか教えることができなかったんです。でもそれが通用するのは10人に1人くらいしかいない。どうしてできないのかわからないので、まずは自分でやって、やり方を見せて、できるまで繰り返しやってもらう。僕がアシスタントだった頃のカリキュラムのうち、半分以上はサロンワークで使わないものだったから、使う技術に集中して教えていましたね。

 

 

スタッフ教育では苦労もしましたが、Instagramで結果を出して、ALBUM SHINJUKUを出すタイミングで店長に抜擢されました。その当時からALBUM SHINJUKUをホットペッパーのサロンランキングで、全国1位にすると決めていたんです。

 

これは尊敬する格闘家の魔裟斗さんが言っていたんですが、一番辛い道を進むことが一番の成功の近道。だから僕は店長を選びましたし、人をまとめて、みんなで全国No.1を目指す道を選びました。

 

サロンワークもSNSでの情報発信でも圧倒的に努力して、背中を見せるように意識していました。人の何倍も努力して、結果を出している人から指示されたら、みんな素直に聞くし、ついてきてくれるものです。スタッフみんなの力でALBUM SHINJUKUはホットペッパービューティーのランキングで頂点に立つことができました。

 

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