【渋谷発︕バレイヤージュの旗を掲げ、美容の新世界へ】SUNNY号・上野剛寛、YouTubeとデザインカラーで新時代を切り拓く
アシスタント歴6年。”努力すること”の尊さを痛感

――スタイリストデビューまで、何年かかりましたか?
6年です。本当に、めちゃくちゃ濃い6年でした。オーナーが一流アーティストのヘアを担当していたので、撮影現場にもたびたびついて行かせてもらっていました。スーパースターだけに、世界中からその道のプロたちが撮影のために集まってくるんです。
そんな異業種の人たちの仕事ぶりを、幾度となく目の当たりにして、本当にすごい人たちは本気でコツコツと積み上げてきた人だということを痛感しました。ようするに僕は、何ひとつ極めていなかったことに気づいたんですよ。ただ、模写が得意なだけだったんです。こんな感じで作ればいいんでしょ?みたいな感覚でいたので、練習も本気でやっていなかったですし、いろんな現場で一流の仕事に触れるたびに「ちゃんと努力しなきゃ」と思うようになりました。僕がついていたオーナーやナンバー2といわれるスタイリストは、一流の所作や気遣いでその場の空気感を作れる人だったんですね。すごい人たちと出会えて、僕の人生は大きく変わったなと思います。

――そんな充実した6年を過ごしてデビューし、その1年後に退社したんですね。
東京と言っても、エリアによって街の表情や特徴はさまざまですよね。特に渋谷は、独特の雰囲気があるし、僕のデザインとも合いそうだなと思って。それで30歳のときに退社して渋谷のサロンに入社しました。そこは4年間お世話になったんですが、その4年もすごく濃かったです。売上1位をめざしていたので、毎日営業後にクラブに行って名刺を配ってましたね。でも人気美容師が多い店だったから、1位になるまで2年かかりました。

――その当時、バレイヤージュを先駆けて施術していましたが、そこに目をつけたきっかけは何だったんでしょうか。
インスタで海外の美容師のヘア写真をよく見ていたんです。単純に「可愛いな」と思っていたので、短い技術動画を参考にしながら試行錯誤しました。たまに日本人美容師さんたちもインスタで技術を発信していたので、そういうものも見ながら独自で改良して、バレイヤージュ技術を確立していきましたね。
同じタイミングで「外国人風スタイル」と謳ったデザインカラーが流行っていたせいか、ハイライト系のオーダーも多かったんですよ。それで自分が作ったバレイヤージュをインスタで投稿し始めると、全国の美容師から技術に関する質問が届くようになって。セミナーをさせてもらうようになってからは、他店で失敗されたお客さまの駆け込み寺みたいな感じにもなっていました。美容師の技術的な過ちによってお客さまの髪が傷むことは本当に悲しいですし、何とかしていきたいと思い始めて。全国の美容師が技術を見られるように、いっそのこと自分の技術をYouTubeで発信しようかな、と。それで当時の勤務先の社長に相談したら賛同してくれたので、チャンネルを始めました。
