美容師小説

美容師小説

-第25話-­【1948年 ネゲブ】 さらば、エリアフ

 小隊のなかには『サブラ』と呼ばれる軍服を着た一群がいた。それは生粋のイスラエル人、つまりイスラエルで生まれ育った兵士だけが着ることを許された軍服だった。

 その『サブラ』組の一人に、エリアフという若者がいた。

 

 エリアフは精悍な顔つきをした男だった。最初に声をかけてきたのは、エリアフ。

 「よぉ、われらがヒーロー!」

 エリアフは、そう言った。

 あの、ズボンのベルト事件のことだとすぐにわかった。

 ヴィダルは無愛想に答えた。

 「なんだよ、田舎モン」

 するとエリアフは言い返す。

 「へっ、軟弱なシティ・スリッカーズが」

 シティ・スリッカーズ。それは都会育ちのあんちゃんというニュアンスだ。

 ヴィダルは腹が立ってきた。

 「どいなか生まれのくそ田舎モンにも言われたくないね」

 するとエリアフはこう言ったのだ。

 「おまえらが汽車のおもちゃで遊んでたころ、オレらは本物のライフルを手にしてたんだぜ」

 これにはヴィダルも言い返すことができなかった。

 

 エリアフの話はほんとうのことだった。イスラエル生まれの子どもたちは、11歳で軍隊に入る。15歳のときにはすでにベテランの兵士になっていたのだ。

 11歳といえば、ヴィダルがロンドンから郊外へ疎開したころ。15歳のとき、ヴィダルはまだ見習い美容師で、アイルランドの大男・パトリックの頭を借りて武者修行をしていた。

 

 

 出会いはけっして楽しいものではなかった。だがその後、二人は急速に仲良くなっていく。

 ある日、エリアフが美しい女性を伴ってやってきた。サラだった。

 

 サラは、部隊内でも評判の美人だった。美しいだけでない。勇敢だった。戦闘が始まると、自らヘルメットをかぶり、負傷者の手当をした。手が空くと、銃への装弾を手伝う。あるときはその銃で敵に向かって発砲したりするのだ。

 

 エリアフとサラは、幼なじみだという。エリアフは少し照れながら言った。

 「ヴィダル、オレたち結婚することになった。結婚式には来てくれるよな」

 「おー、そうか。おめでとう! もちろん行くさ。楽しみにしてるよ」

 

 サラの笑顔は知的で、輝いていた。大きな瞳がまっすぐにこちらを見つめてくる。ヘルメットをしていないサラ。その髪は短い黒髪で、ウェーブがかかっていた。

 どうしてこんなに似合っているのだろう。

 ふと、ヴィダルは思った。女性のヘアスタイルに気を留めることなど、久しぶりのことだった。

 ショート。ウエーブ。黒髪。なぜだろう。

 ヴィダルのなかで、何かが言葉になりそうだった。何か、大事なヒントがそこにあるような気がした。

 「なに見つめてるんだよ、シティ・スリッカーズ」

 エリアフが笑いながら言った。

 「いや、改めてきれいだな、と思ってさ、田舎モン」

 かたちになりかけていたイメージが、消えた。

 

 

 前線での生活は、けっして楽しいものではなかった。つねに、死が目の前にあった。食事は乾パンとスープ。缶詰。たまに肉の缶詰が出る。だがそれはほとんどがポークソーセージであり、おいしい牛肉が食べられることはなかった。

 

 過酷な戦場で、サラの美しさは兵士たちをなごませた。もちろんヴィダルのこころも癒してくれた。

 しあわせになれよ。

 ヴィダルはこころのなかでもう一度、祝福した。

 

 

 戦闘が再び本格化した。エジプト軍は、装甲車に加えて戦車を投入。さらに空軍を参加させてネゲブへと進出してきた。

 ネゲブではキブツと、イスラエルの中心部とを結ぶ幹線道路を、エジプト軍が支配下に置いていた。その道路を奪回すること。それが、イスラエル軍の急務となっていた。

 奪回するには、道路を見下ろす丘の制圧が必要だった。イスラエル陸軍の通称『ヒル18』。戦術目標は、その『ヒル18』を占領すること。

 

 作戦が立てられた。指揮官は、部隊長であるカルメリ中尉である。

 カルメリ中尉は見上げるような大男だった。その指揮は勇敢で、つねに最前線で戦ってきたベテラン部隊長だった。

 「標的はベイト・ハヌン。その村を占領する。そのためにまずは『ヒル18』を制圧する。作戦は明日から17日間。以上」

 

 

 いよいよ軍事作戦に参加するときがやってきた。

 カルメリ中尉は兵士たちに翌朝4時の起床を命じた。

 奇襲だった。4時半になると、兵士全員で丘を駆け上がる。まだ暗い。敵が気づいたとき、ヴィダルたちはすでに丘の半分まで登っていた。

 

 銃撃戦が始まった。だが敵は奇襲に驚き、ひるんでいる。押した。押し上げた。多くの負傷者が出た。ヴィダルは無傷だった。負傷者には衛生兵たちが駆け寄り、手当をする。ヴィダルは銃を連射しながら丘を這い上がっていく。

 激闘は、夜に入ってもつづく。途中、大きな岩陰を見つけると入り込み、交替で仮眠をとる。ほんのわずかだが、睡眠は重要だ。仮眠を終えると、ヴィダルも見張りに立ち仲間を休ませる。

 カルメリ中尉の作戦は果敢だった。昼夜休みなく攻撃を加える。エジプト軍は次第に追い詰められていく。そして作戦開始から12日目。ついにイスラエル兵が丘の頂上に達した。白地に青く、ダビデの星が描かれた旗がたなびいた。

 

 ヴィダルたちは歓声をあげた。だが、喜びもつかの間、カルメリ中尉が命令する。

 「負傷していない者はただちに塹壕を掘れ」

 そうだ。作戦はこれで終わりではない。ベイト・ハヌンの村を占領して、幹線道路を奪還するのだ。しかも『ヒル18』は戦略的要衝。当然、エジプト軍も奪還作戦を仕掛けてくる。つまり今度は防御のための溝掘り。

 ヴィダルは必死になって掘った。コリンも必死だった。この溝が、自分たちの命を守ってくれるのだ。

 

 突然、砲弾が飛んできた。ヒュルヒュルという音がしたと思ったら、上空で破裂。その瞬間、後方のコリンのところからバチッという音がした。

 コリンが倒れた。ヴィダルは駆け寄る。するともう一度、爆発音。そこはついさっきまでヴィダルがいた場所だった。

 

 コリンの身体を抱きかかえるようにして、仰向けにする。ヘルメットには穴が空いていた。

 榴散弾だった。砲弾の中に丸い散弾がたくさん詰まっていて、敵の手前上空で爆発させると散弾が飛び散って向かっていく。

 近くに衛生兵はいなかった。よりにもよってなぜコリンが。ヴィダルの頭の中ではぐるぐると、意味のない言葉が飛び回っていた。

 「落ち着け、落ち着け」

 ヴィダルは声を出して自分に言い聞かせた。傷がどれくらいの深さなのか、損傷がどのくらいなのか確かめなければならない。

 コリンのヘルメット。あごひもをゆっくりと外していく。ヴィダルにははっきりとしたイメージが浮かんでいた。頭の一部が破壊されていて、脳漿が飛び散り、それがヘルメットの内側にくっついている。

 恐ろしかった。心臓が破裂しそうだ。だけどやらなくてはならない。コリン、待ってろ、オレが見届けてやる。見届けたらすぐに衛生兵を呼びに行ってやる。

 ゆっくりとヘルメットを外す。

 

 脳漿はなかった。頭の一部も破壊されていない。それどころか一滴の血も流れていなかった。今度は外したヘルメットを見る。すると大きな穴がふたつ、開いていた。ひとつはヘルメットの内側に向かって。もうひとつは外側へ向かって開いている。つまり弾はヘルメットを貫通したのだ。しかもコリンの頭部には傷ひとつつけずに。

 ヴィダルは腰から崩れた。気がつくと息が荒い。奇跡だった。コリンは助かった。おそらく弾丸の衝撃で脳しんとうを起こしているだけだ。

 コリンの身体を揺さぶった。しばらくすると、コリンは覚醒した。

 

 銃撃戦をつづけながら、味方の兵が次々と丘に到着する。その中でも最強の援軍が、重機関銃だった。

 『ベサ』という名前の重機関銃が二丁、丘を登って塹壕へとやってきた。四人の専任射撃手と一緒に。

 丘を制圧したヴィダルたちは、麓のベイト・ハヌンへ向かって攻撃を仕掛けた。『ベサ』は幹線道路を通るエジプト軍の装甲車を何台も破壊した。エジプト軍も丘の奪還作戦を何度も仕掛けてくる。だが、そのたびにヴィダルたちは撃退した。

 

 丘の上での戦闘は6日間に及んだ。食料は乾パンと缶詰。掘った塹壕がベッドである。水は厳しく管理され、飲料だけに使われた。よって兵士たちの体臭は強烈になる。さらに足はジフテリア菌に冒されていた。

 ひどい環境だった。だが、ヴィダルたちの士気はけっして衰えたりしなかった。士気を鼓舞しつづけたのは、カルメリ中尉。それからイスラエルを守るという強い意志だった。

 

 カルメリ中尉は、希有の存在だった。年齢はヴィダルとは1歳しか違わない。それでも戦場における存在感は群を抜いていた。つねに冷静。かつ自信に満ちた表情。仲間の兵士たちが次々と斃れていく中、兵士全員が中尉からパワーをもらっていた。もちろんヴィダルもそのひとりだった。ヴィダルはそのとき初めて、リーダーのあり方を学んでいた。

 

 戦闘は終わりに近づいていた。丘から見下ろすベイト・ハヌンは、イスラエル軍の攻勢で制圧されつつある。エジプト軍は、最後の反撃だと言わんばかりに多数の爆撃機を繰り出してきた。

 空爆。これでもかというくらい爆弾を落としてくる。塹壕は、上からの攻撃には弱い。だが、負けなかった。兵士たちは運を天に任せ、丘を上がってくるエジプト兵への攻撃をつづける。

 その時、ヴィダルのほうへ『サブラ』が、腰を折りながら駆け寄ってきた。

 「エリアフ!」

 ヴィダルは叫んだ。エリアフが笑顔で走ってくる。手には缶詰。なんと牛肉の缶詰だ。どうやらどこかで調達してくれたらしい。

 「気をつけろ!」

 ヴィダルも笑顔になって、言ったその瞬間だった。

 

 破裂弾のすさまじい音。近い、とヴィダルは思った。だが視界は降り注ぐ砂で閉ざされている。砂まみれになったヘルメットを少し持ち上げて、周囲を見る。すると何かがころころと丘の斜面を転がっていくのが見えた。

 牛肉の缶詰だった。

 「エリアフ!」

 叫んでいた。『サブラ』がすぐ近くに横たわっている。その頭の半分が、なくなっていた。

 

 ヴィダルは嘔吐していた。身体ががくがくと震えた。手にした機関銃はまだ熱かった。

 

 

 『ヒル18』の戦闘はその翌日に終わった。イスラエル軍の勝利だった。カルメリ中尉の17日作戦。それは2日遅れで完了した。

 丘には後方部隊が通信網を敷設。増援部隊も到着した。そこからベイト・ハヌン制圧に向けた総攻撃が始まった。

 

 幹線道路は、炎に包まれた。エジプト軍の装甲車や戦車は焼けただれ、道路上に放置された。さらにイスラエル空軍が爆撃を開始。エジプト軍は撤退していった。

 丘を占領したのはヴィダルを含めて42人。そのうち25人が、自分の足で丘を下りた。亡くなった戦友は7人。10人は担架で運ばれた。

 ヴィダルたちが戦った敵の人数は、イスラエル軍をはるかに上回っていた。だが、ヴィダルたちは負けなかった。

 

 

 サラは、気丈に振る舞っていた。ヴィダルはエリアフの最期について、話した。するとサラはこんな話をしてくれた。

 

 「あなたたちが奪還した丘に名前が付けられたの、知ってる?」

 知らなかった。ヴィダルのなかでは『ヒル18』だ。

 「みんな『カルメリの丘』と呼んでるわ。そう、あなたたちの部隊長の名前」

 

 サラは、泣かなかった。

 

 

 

つづく

 


 

 

☆参考文献

 

『ヴィダル・サスーン自伝』髪書房
『Vidal  Vidal Sassoon The Autobiography』PAN BOOKS

『ヴィダル・サスーン』(DVD) 角川書店

『夜と霧』ヴィクトール・E・フランクル著 みすず書房

『イスラエル建国の歴史物語』河合一充著 ミルトス

『アラブとイスラエル』高橋和夫著 講談社現代新書

『私家版・ユダヤ文化論』内田樹著 文春新書

『アメリカのユダヤ人迫害史』佐藤唯行著 集英社新書

『ヴェニスの商人』ウィリアム・シェイクスピア著 福田恆存訳 新潮文庫

『物語 エルサレムの歴史』笈川博一著 中公新書

 

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