美容師小説

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­-第48話-­【1960年 東京】BOAC(英国海外航空)の新人研修が始まった。

 三信ビルは東京宝塚劇場の裏手にあった。劇場の向かいには、フランク・ロイド・ライト設計による帝国ホテルがその雄姿を誇り、日比谷通りの向こうには日比谷公園が広がっている。

 鉄骨鉄筋コンクリート造りの地上8階、地下2階建て。大野芳男が入社したBOAC(英国海外航空)は、4つのフロアに分散して入居していた。

 

 出社するとすぐに新人研修が始まった。まずは“英語”である。会社には発音やアクセントを直す教材が揃っていた。

 “アメリカ英語”全開の大野は、英国の“英語”に戸惑った。たとえば数の数え方である。

 大野は「20」を、「トゥエニー」と発音する。ところが教材は教えるのだ。

 「トゥエンティ」。

 さらにアルファベットの発音も直される。

 大野の「Z」は、「ズィー」。しかし“英語”では「ゼット」。

 初歩中の初歩からのリ・スタートだった。

 

 英語の勉強は、12歳のときに始めた。NHKラジオの“カムカム英語”。その講師・平川唯一が大野の“先生”だった。(第15話参照)

 平川唯一は1918年、米国に渡り、ハリウッドで俳優として活躍していたというから、まず筋金入りのアメリカ英語である。

 その後、大野は米軍の『キャンプGIFU』に職を得て、ハウスボーイとなる。そこで6年間を過ごし、さらに川崎航空機で通訳を務めた。その通訳も、米国ロッキード社の技術者の通訳である。さらには埼玉県入間の『ジョンソン・エアベース』。もちろんそこも米軍である。つまり、大野の英語に関わるキャリアのすべてがアメリカ英語なのだった。

 

 苦労した。だが同期入社の他の5人は、もっと苦労していた。彼らはそもそも英語を自由に操れるほど達者ではないのだ。大学で英語を学んできた。そのくらいでは、英国人の上司との意思の疎通は容易ではない。

 ただし、BOACの日本支社に英国人上司は2人しかいなかった。支社長と営業部長。それ以外はすべて日本人なのである。人事部、旅客部、そして貨物を担当するカーゴ部門。すべての部長が日本人だった。だから同期は自然に日本人上司と仲良くする。さらにその後、営業部長もまた日本人に替わった。

 

 大野は日本人上司と仲良くなることより、“勉強”を優先した。上司と仲良くなることが仕事じゃない。そう思っていた。だから大野は、社内で少し浮いた存在となっていく。

 「大野は付き合いが悪い」

 日本人の上司や先輩は、そんな印象を持っていた。とくに大野が英国人支社長と普通に英語で語り合う姿を見ると、先輩たちは露骨にイヤな顔をした。なかには「あいつは大学も出てないくせに」と、陰口を叩く者もいた。

 

 ともすれば孤立しそうになる大野を支えたのは、同期だった。みな大学を出たての23歳。大野より4つも年下だったし、英語を自由に使いこなす大野をだれもがリスペクトしていた。

 それからもうひとり、大野の味方がいた。直属の上司・旅客部部長の相沢賢三である(第1話参照)。だから大野は先輩たちとのあつれきを気にしなかった。

 [仕事ができればいいんだろ]

 そう思って勉強に励んだ。

 [大卒なんかに負けてたまるか]

 

 勉強したのは英語だけではない。叩き込まれたのは“スリー・レター・コード”。世界各地の空港を3つのアルファベットで表記する略称である。

 たとえば羽田空港はHND。ロンドンのヒースロー空港はLHR。香港はHKG。フランクフルトはFRA。アムステルダムはAMS。

 BOACが乗り入れる空港は世界中に約300カ所。そのすべてを覚えるのである。

 

 新人は毎朝、テストを受けた。大きな白地図に空港の位置を示すドットが打ってある。そのドットの上にスリー・レター・コードを書き込むのだ。時間は10分間。それが5週間の新人研修期間中、毎朝つづく。

 

 朝のテストが終わると、航路の勉強である。たとえば羽田からロンドンまで行くためのトランジット、つまり経由地を覚える。当時はまだ日本からヨーロッパや米国まで、直行便が運行できるほど旅客機の性能は良くない。だからまずは、BOACが運航している旅客機の性能を勉強する。

 

 エンジン4基のターボプロップ旅客機“ブリストル・ブリタニア”はプロペラ機。乗客133人。巡航速度575km/h。航続距離は6,870km。

 同時に運行されていたのが世界初のジェット旅客機“コメット”。正式名称は“デ・ハビランドDH.106コメット”。その第4世代、“Mk.IV”は、乗客56人。巡航速度805km/h。航続距離は5.190km。

 

 以上2機種が英国製。そこに米国の“ボーイング707”や“ダグラスDC-8”が参入してくる。

 これら旅客機の性能をすべて覚える。特に乗客数と巡航速度、航続距離は重要だった。なぜなら乗り継ぎの航路設定に直接、影響を与えるからだ。

 

 航空会社の“商品”は、航路設定だった。どこからどこまで、いくらで、何時間で行けるか。

 たとえば羽田から香港まで、コメットで行けば4時間。ブリタニアなら倍の8時間かかった。ロンドンまで、安く行きたければ、たとえば以下のようになる。

 羽田 ⇒香港 ⇒バンコック ⇒ラングーン ⇒カルカッタ ⇒デリー ⇒テヘラン ⇒ローマ ⇒フランクフルト ⇒ロンドン。(地名は1960年当時)

 じつに8回のトランジットである。

 時間はかかる。しかし、安い。しかもBOACの場合、英国の植民地を経由するとさらに安くなる。たとえば香港経由だと600マイル分のボーナスマイレージがつく。そのマイレージを使って、料金を安くできるのだった。

 

 香港は、1842年から英国の植民地だった。英国は世界中に植民地を有していた。インド、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ……。その多くは第二次世界大戦前に自治領となり、戦後に独立していったが、香港は相変わらず英国領だった。

 

 香港は、日本から世界へと出て行く際の重要な経由地だった。BOAC日本支社は、香港経由の航路を安価に設定できることで他国の航空会社との競合優位性を確立していた。

 

 

 半年間にわたる徹底した新人研修。その最後に、大野は初めて飛行機に乗った。

 

 まず乗ったのはコメットIV型。羽田から香港までの体験搭乗である。

 香港までの所要時間は約4時間。着陸態勢に入る直前、大野はもうひとりの新人とともにパーサーに呼ばれ、コックピットに案内された。

 

 着陸直前のコックピットは緊張感にあふれていた。2人のパイロットがさまざまな計器に視線を走らせ、チェックしながら空港の管制官とコミュニケーションをとっている。はるか前方、街のなかに滑走路が見えてきた。機体はゆっくりと高度を下げながら、まっすぐに滑走路へと向かっていく。大野はいつのまにか両手に握りこぶしをつくっていた。街に建ち並ぶ建物の間を縫うように、旅客機は下りていく。こぶしのなかがぬるぬるしてくる。滑走路が迫ってきた。と、そのときだった。大野の頭に弾丸の音が鳴り響いた。

 

 機銃掃射である。あの、岐阜の国民学校の校庭。大野はグラマン戦闘機の機銃掃射を受けた(第4話参照)。そのとき、戦闘機のパイロットが見ていた光景。地面に向かって下りていくと、まるで自分は静止していて、地面のほうが高速で迫ってくる感覚に陥る。

 

 [あの滑走路にオレがいるとすれば……]

 

 握りしめた手の、右手の親指をなんとか立てて、大野は頭の中で機銃の発射ボタンを押した。

 [ダダダダダッ]

 当たるとは思えなかった。それほど高速で、しかも飛行機の挙動は不安定だった。道の上を走る自動車とはまったく違う。

 [それでもアイツは、オレの身体の数十センチ横に銃弾の着地点を並べた]

 もしかしたら、相当の腕前だったのかもしれない。大野はそう思った。

 気がつくと、大野の身体はがちがちに固まっていた。背中には汗が流れていた。

 

 「Touchdown」

 機長が言った。と同時に、固まった身体に、軽い衝撃が伝わってきた。

 

 

つづく

 

 

 


 

<第49話の予告>

1951年に設立された半官半民の国策会社“日本航空”は、米国のノースウエスト航空やBOACのスタッフを次々と引き抜いて、航空会社の体裁を整えていった。引き抜きが可能となったのは、その待遇の良さである。日本航空の待遇は当時、米国や英国の航空会社に勤める“日本人スタッフ”の待遇をはるかに凌駕していた。「このままではBOACは日本航空のスタッフ養成学校になってしまう」。そんな危機感をもった大野は、BOACの労働組合に入り、待遇改善要求を開始した。

 


 

 

☆参考文献

 

『ヴィダル・サスーン自伝』髪書房
『Vidal Vidal Sassoon The Autobiography』PAN BOOKS

『ヴィダル・サスーン』(DVD) 角川書店

『夜と霧』ヴィクトール・E・フランクル著 池田香代子訳 みすず書房

『イスラエル建国の歴史物語』河合一充著 ミルトス

『アラブとイスラエル』高橋和夫著 講談社現代新書

『私家版・ユダヤ文化論』内田樹著 文春新書

『アメリカのユダヤ人迫害史』佐藤唯行著 集英社新書

『ヴェニスの商人』ウィリアム・シェイクスピア著 福田恆存訳 新潮文庫

『物語 エルサレムの歴史』笈川博一著 中公新書

『美の幾何学』伏見康治・安野光雅・中村義作著 早川書房

『美の構成学』三井英樹著 中公新書

『黄金比はすべてを美しくするか?』マリオ・リヴィオ著 斉藤隆央訳 早川書房

『図と数式で表す黄金比のふしぎ』若原龍彦著 プレアデス出版

『すぐわかる 作家別 アール・ヌーヴォーの美術』岡部昌幸著 東京美術

『ヘアモードの時代 ルネサンスからアールデコの髪型と髪飾り』ポーラ文化研究所

『建築をめざして』ル・コルビュジエ著 吉阪隆正訳 鹿島出版会

『ル・コルビュジエを見る』越後島研一著 中公新書

『ミース・ファン・デル・ローエ 真理を求めて』高山正實著 鹿島出版会

『ミース・ファン・デル・ローエの建築言語』渡邊明次著 工学図書株式会社

『MARY QUANT』マリー・クワント著 野沢佳織訳 晶文社

『スウィンギング・シックスティーズ』ブルース・インターアクションズ刊

『ザ・ストリートスタイル』高村是州著 グラフィック社刊

 

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