美容師小説

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­-第47話-­【1954〜60年 岐阜→入間→東京】航空会社はこれからきっと飛躍する。

 シャツが燃えていた。当時、最先端のナイロン製のシャツが燃えている。

 [死ぬ]

 大野は走った。ガソリンスタンドを経営する農家へ走った。玄関から飛び込み、土間の上で叫んだ。

 「だれかー!」

 返事はない。

 [そうか、店主は畑か]

 大野は玄関を飛び出した。目の前に炎が見えた。自分の身体から立ち上がっている炎だ。その炎の向こうから大男が駆けてくる。ペニントンだ。鬼のような形相で迫ってくる。

 [そうか、ペニントンは大男だから、運転席から出てくるのが遅れたんだ。彼も相当焦ってるんだな]

 大野の頭には意外と冷静な言葉が浮かんだ。炎は相変わらず目の前で揺れている。

 「カモンっ!」

 ペニントンが叫びながら、大野の身体にぶつかってきた。彼は大野を抱きかかえるようにして畑の畝に倒れ込んだ。

 芋畑である。ペニントンは、倒れた大野の身体に土をかけ始めた。両手で、懸命に土をかけた。

 

 

 火は消えた。不思議なことに、大野は痛みを感じていなかった。そういえば燃えている最中、熱さも感じなかった。ただ、息が苦しかった。

 腕や胸に視線を這わすと、ナイロン製のシャツが溶け、皮膚にべったりとくっついている。

 火が消えたことを確認すると、ペニントンは農家に向かって走った。

 

 ようやく、農家の奥さんが出てきた。ペニントンは電話を借りると、川崎航空機の本部に連絡した。

 

 救急車なんかなかった。やってきたのはオート三輪。しかもずいぶん時間が経ってからだ。

 オート三輪には3人の男が乗っていた。3人は大野を荷台に転がすと、すぐに出発した。ペニントンも、大野と一緒に荷台に乗った。

 

 田舎のでこぼこ道を、オート三輪は飛ばした。荷台の大野は何度もバウンドした。苦しかった。痛いのではない。苦しい。息ができない。大野は何度も失神しそうになった。そのたびに、ペニントンに叩き起こされた。

 

 なんとか病院にたどり着くと、父が待っていた。

 大野はストレッチャーに乗せられ、四肢をベルトで固定される。ベッドに運ばれるとすぐに処置が始まった。

 まず、溶けて貼り付いたナイロン製のシャツを、ピンセットで取り除いていく。火を消すために芋畑の土をかぶった大野は、破傷風のリスクにさらされていた。

 シャツが皮膚から少しずつ剥がされていく。大野は歯を食いしばって叫び声を抑え込む。ピンセットを持つ医師は、大声で大野を励ましながら処置をつづけた。

 「おい、おまえはあの戦争を生き抜いたんだろ。がんばれっ。5分、辛抱しろ」

 

 [5分か]

 そう思いながら大野は耐えた。だが5分が経つと、また新たな5分が始まる。もう時間の感覚はなかった。とにかく苦しい。とにかく痛い。

 ようやく処置が終わると、注射が打たれた。大野は気を失った。

 

 意識が戻ると、大野は激しい痛みに襲われた。全身が痛い。とくに上半身が痛い。大野の身体は包帯で覆われていた。

 しばらくすると医師がやってきて、包帯の様子を確かめながら言った。

 「もう少し広く焼けてたら、あんたの命はなかったよ。ほんとにギリギリで、あんたは助かったんだ」

 二度目だった。ギリギリで助かったこと。

 一度目は戦時中のことである。国民学校の校庭をひとりで歩いていた大野は、米軍のグラマン戦闘機に襲われた。機銃掃射が始まる直前、大野はその身を地面に投げた。両手をまっすぐに前へ。両足もまっすぐ伸ばした状態で校庭の地面をすべった。

 真後ろから迫るグラマンの機銃掃射。弾は横たわった大野のすぐ右側を駆けていった。わずか数十センチの距離だった。(第4話参照)

 

[また、オレは生かされた]

 病室の天井を見上げながら、大野は思った。

[この命、さて何に使うか]

 

 入院は3カ月に及んだ。しかし退院しても職場には復帰できない。身体が自由に動かせないのだ。以前のように動けるようになるまで、さらに5カ月が必要だった。

 

 会社(川崎航空機)は、戻ってきてもいいと言ってくれていた。だが、大野はもう戻れないと覚悟していた。あまりにも長い間、職場には迷惑をかけていた。おそらく代わりの通訳が雇用され、すでに活躍していることだろう。ならば、オレはどうするか。

 

 新聞に掲載される求人広告を、大野は毎朝チェックしていた。朝日や毎日などの一般紙ではない。英字新聞『ジャパンタイムズ』の求人欄だ。

 大野はやはり英語を生かしたかった。英語で、人の役に立ちたかった。日米の技術者の間に立って、通訳業務で役に立つ。それはそれでやりがいがあった。しかし、英語を生かす仕事は通訳だけなのか。病室でも自宅でも、そんな疑問が渦巻いていたのだ。

 

 大野は考えた。これまでの人生のなかで、もっとも充実していた時期はいつだったか。

 『キャンプGIFU』のPXだった。通訳ではなく、経理の仕事を任された。その時期がいちばん充実していた。つまり日本の会社ではなく、外国の組織で働いていたころ。

 

 日本の会社は学歴社会だった。川崎航空機も管理職には大卒が居並び、高卒の大野には通訳以上の活躍の場はなさそうだった。

 一方米軍は、実力社会だった。黒人でも実力があれば連隊長になれる。そんな組織が大野は好きだった。

 

 ある日、『ジャパンタイムズ』の求人欄に次のような広告が載った。

 

 “ジョンソン・エア・ベースのPXは、英語のできる日本人を求めています”

 

 埼玉県の入間にある米軍キャンプだった。大野はすぐに電話をかけた。相手が出ると、大野は英語で話した。

 「ジャパンタイムズの求人広告を見て電話しました。私はオオノ・ヨシオといいます」

 すると相手が聞いてくる。

 「あなたは英語ができるんですね。おいくつですか」

 「25歳です」

 「私はマネージャーのハンセンと言います。いつ面接に来られますか」

 「明日にでも。今夜、こちらを出れば明日のお昼ごろには到着できると思います」

 「では、明日来てください。お待ちしています」

 

 こうして、面接の約束がとれた。

 その夜、大野は夜行列車に乗って東京へと向かった。東京駅から池袋へ。そこで西武電車に乗り換えて、入間川駅へ。

 『ジョンソン・エア・ベース』では、ハンセンが大野を待っていた。

 

 「履歴書を見ると、あなたはキャンプGIFUにいたんですね」

 「えぇ、最初はハウスボーイ。それからPXで経理を任されていました」

 「じゃあだいじょうぶだ。ミスター・オオノ。基地内のPXで働いてもらいます。2交代制で、朝6時から午後3時までと、午後3時から夜9時まで。どっちがいい?」

 大野は考えた。

 [せっかく東京に出てくるのであれば、もっと勉強がしたい。3時に終わるのなら、夜の学校に行ける]

 「朝6時からのシフトでお願いします」

 「オーケー。決まりだ」

 

 こうして大野は東京に出ていく。始発電車で基地へと向かい、夕方からは学校に通う。大野は渋谷の『日本タイピスト専門学校』秘書科に入学した。目的は“英文速記”をマスターすること。

 大野はそれからグレッグ式速記を2年間学び、1分間に70ワードという技術を身につけた。それは英語で行われる会議に、速記者として参加できるレベルの実力だった。

 

 英語と資格。それが大野の“武器”だった。それ以外には何もない。そう思っていた。英会話はもちろん、英文タイプが打てる。英文速記もできる。簿記ができて、オート三輪も運転できる。さて、これらの“武器”をどこで、どう使うか。

 米軍基地は縮小していく。日本国内の基地からひとつずつ撤退し、沖縄へと集約していく。沖縄はまだ日本に返還されておらず、米国の占領下にあった。

 “ジョンソン・エア・ベース”も、撤退の方針が決まっていた。米軍が撤退したあとは、航空自衛隊の入間基地になる。またしても大野は失業するのであった。

 

 さて、どうするか。

 大野は再び『ジャパンタイムズ』の求人欄のチェックを開始した。するとある日、おもしろそうな求人広告と出会った。

 

 “ノースウエスト航空 職員募集”

 “BOAC(英国海外航空) 職員募集”

 

 ノースウエストは米国の航空会社だった。一方のBOACは英国である。

 [両方、受けてみよう]

 大野はすぐに規程の応募書類を郵送した。

 

 航空会社は飛躍する会社だと思った。これからはもっともっと国境を越えて人が交流するようになる。海外旅行もできるようになるだろう。そうなったとき、航空会社は一躍、時代の花形となるだろう。

 

 入社試験の案内に沿って、大野はまずノースウエスト航空を訪れた。すると受験者はまばらで、大野は簡単に2次試験まで進んで採用が決定した。

 一方のBOACは、まったく異なっていた。受験者数が格段に多いのだ。6名の募集に120人が受験していた。大野にはその理由がよくわかった。

 

 米国は敵国である。いや、旧・敵国。もちろん英国だって同じなのだ。連合国軍の一翼。なにしろ鬼畜米英。しかし日本人の感覚としては、敵は米国だった。占領軍の中心も米軍。司令官ダグラス・マッカーサーも米国人。だから米国の会社は人気がないのだ。

 一方、英国はどうか。

 英国は、遠かった。物理的というより、心理的に遠かった。日本人の多くは米国と戦ったという感覚が強く、英国を直接的に敵だと認識していた人はけっして多くはなかった。

 

 大野は、ノースウエストよりもBOACに入りたかった。理由は[英国は英語の母国だから]。しかも米国は昔、英国の植民地だった。つまり、格上。その感覚が気に入っていた。英国は、米国よりも格上。うん、悪くない。

 

 

 採用者数6人に対して、120人の応募。つまり倍率20倍の難関。それでも大野はチャレンジした。

 1次試験。合格。

 2次試験。合格。

 3次試験。合格。

 

 順調だった。しかし、大野はそこまで進んで、急に不安になった。じつは『ジャパンタイムズ』の求人広告には年齢制限が記されていたのだ。

 “年齢26歳迄”

 大野はそのとき、27歳。

 覚悟を決めた。もし、書類確認のミスでBOACが自分の年齢を見逃しているとしたら、このまま知らぬふりをして試験を受けつづけるわけにはいかない。自分のおかげで不採用になる人が出るとすれば、結果的に迷惑をかけてしまう。

 そこで4次試験のとき、面接に出てきた人事部長に告げたのである。人事部長は日本人だった。

 「申し訳ありません。私、ジャパンタイムズを見て応募してますが、年齢制限が26歳迄となっています。でもじつは私、27歳なんです」

 大野は不採用になるのだと思った。4次試験で自分は落とされる……。しかし、人事部長はこう言ったのだ。

 「いや大野さん、心配いりませんよ。年齢のことはウチのほうでもわかっていますから。どうぞそんなに卑屈に考えないで、がんばってください」

 後日、家に届いたのは5次試験の案内だった。

 

 大野の英語は、他の日本人を圧倒していた。あらゆるケースに対応でき、ほぼネイティブだった。ただ、ひとつだけ問題があるとすれば、それは米軍なまりのアメリカ英語だということ。だがその事実に、大野本人は気づいていなかった。

 

 5次試験は、最終試験だった。試験官はBOACの日本支社長・ピカード。元・英国陸軍の大尉である。後に聞いた話では、1948年に始まった“第一次中東戦争”に参戦していたという。つまりイスラエル建国を懸けたアラブ諸国との戦争。あの、ヴィダル・サスーンが参戦した戦争である。

 

 ピカードは、大野に『LIFE』誌を差し出した。あるページを開き、こう告げた。

 「オオノさん。このページを読んで、なにが書いてあるか。そしてなにが問題なのかを要約して話してください」

 試されているのは英語ではなかった。記事の理解力。要約する力。そして時局の判断。

 

 記事は、第二次中東戦争(1956年〜57年)について書かれていた。大野は、スエズ運河をめぐって戦った英・仏・イスラエル連合軍とエジプトとの戦争の政治的価値について、記事を基にすべて英語で論評した。

 語り終えると、ピカードが言った。

 「あなたは英語がよく読める。だけど、アメリカ英語だな。アメリカのアクセントがかなりきつい」

 そう言われて、大野はハッとした。

 [そうだ。ここは英国の会社だった]

 

 英語と、アメリカ英語との違いは知っていた。米軍キャンプでは英国BBCのラジオ放送も受信していたのだ。初めてBBCの“英語”を聞いたとき、大野は思っている。

 [なんだ、この英語は。やけに歯切れがいいなぁ。なんか気取ってる感じがするけど]

 

 大野は、ピカードに向かって言った。

 「はい。わかっています。私の英語は、アメリカ英語です」

 「もし、ウチに来るとしたら、あなたはそれをどうするつもりですか」

 「入社の機会をいただけたら、もちろん直します。英語の勉強をし直すつもりです」

 「そうですか。わかりました」

 

 それから一週間後、再び電報が来た。

 “次の月曜日 午前10時に来社されたし 筆記用具不要 自分を証明するものを持参のこと”

 

 月曜日。大野はBOACの日本支社がある日比谷の三信ビルに向かった。

 1960年である。世の中は騒然としていた。日米安全保障条約の改定をめぐり、政府と市民が激突していた。日比谷でも、多くの大学生や社会人たちがデモ行進をしていた。その脇を、大野は歩いた。デモに巻き込まれないよう、細心の注意を払いながら、歩きつづけた。

 [オレにはオレの人生がある]

 

 BOACのオフィスには、大野を含めて6人の日本人が集まっていた。

 [あ。6人。オレ、受かったんだ]

 あとの5人はみな大卒。早稲田、明治、そして東京外国語大……。高卒、しかも定時制高校卒は大野ひとりだった。

 

つづく

 


 

 

<第48話の予告>

BOAC(英国海外航空)に入社した大野は、猛勉強を始めた。まずは“英語”。米軍なまりのアメリカ英語を徹底的に修正すること。同時に、“商品”の勉強も始まった。海外のあらゆる都市の空港を覚え、航空路をつくる。目的地にはどこを経由すればいちばん安く行けるか。さまざまなルートを組み合わせてつくる。それが航空会社の“商品”だった。

 

 


 

☆参考文献

 

『ヴィダル・サスーン自伝』髪書房
『Vidal Vidal Sassoon The Autobiography』PAN BOOKS

『ヴィダル・サスーン』(DVD) 角川書店

『夜と霧』ヴィクトール・E・フランクル著 池田香代子訳 みすず書房

『イスラエル建国の歴史物語』河合一充著 ミルトス

『アラブとイスラエル』高橋和夫著 講談社現代新書

『私家版・ユダヤ文化論』内田樹著 文春新書

『アメリカのユダヤ人迫害史』佐藤唯行著 集英社新書

『ヴェニスの商人』ウィリアム・シェイクスピア著 福田恆存訳 新潮文庫

『物語 エルサレムの歴史』笈川博一著 中公新書

『美の幾何学』伏見康治・安野光雅・中村義作著 早川書房

『美の構成学』三井英樹著 中公新書

『黄金比はすべてを美しくするか?』マリオ・リヴィオ著 斉藤隆央訳 早川書房

『図と数式で表す黄金比のふしぎ』若原龍彦著 プレアデス出版

『すぐわかる 作家別 アール・ヌーヴォーの美術』岡部昌幸著 東京美術

『ヘアモードの時代 ルネサンスからアールデコの髪型と髪飾り』ポーラ文化研究所

『建築をめざして』ル・コルビュジエ著 吉阪隆正訳 鹿島出版会

『ル・コルビュジエを見る』越後島研一著 中公新書

『ミース・ファン・デル・ローエ 真理を求めて』高山正實著 鹿島出版会

『ミース・ファン・デル・ローエの建築言語』渡邊明次著 工学図書株式会社

『MARY QUANT』マリー・クワント著 野沢佳織訳 晶文社

『スウィンギング・シックスティーズ』ブルース・インターアクションズ刊

『ザ・ストリートスタイル』高村是州著 グラフィック社刊

 

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