HOULe 柏木ゆたかさん 〜どんな大きなステージに立ってもまだ半人前…技術者でいる限りゴールはない〜

 

 

美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代。もちろんそれもいいですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があってもよいかもしれません。

 

「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。

 

今回は、表参道の人気サロンHOULe(ウル)の柏木ゆたか(かしわぎ ゆたか)さんです。柏木さんは、再現性の高いナチュラルデザインや似合わせデザインの第一人者。20年以上前から、日常にフィットする上質なナチュラルなヘアを提案し、多くの女性の心を掴んできました。今回はそんな柏木さんが今に至るまでどんな「美容の道」を歩んできたのか教えていただきました。

 


 

2年目でカットコンテスト入賞!給料の半分はウィッグで消えた

 

 

僕が美容師になったばかりのころは、給料の半分はウィッグ、もう半分は服代で消えていました。一体、何を食って生きていたんだ?と思うくらいの暮らしぶりでしたね。私鉄沿線の地域密着型のサロンに勤めていて、お昼はご飯と味噌汁を用意してくれるところだったから、それでお腹を満たしていました。

 

とにかく僕はカットが好きだったので、月に30台くらいはウィッグを切っていましたね。当時はカットモデルさんを集めることが一般的ではなく、ウィッグでひたすらベーシックを練習する時代だったんですよ。

 

上下関係が今よりも厳しかったのですが、カットが上手いと先輩たちの態度が変わるんです。だから実力で追い抜いてやろうと思っていました。僕は朝弱いので、営業後に勉強会やレッスンを受けて、その後、新聞配達のバイクの音が聞こえてくるまで練習していました。

 

家に帰って寝て、寝坊して、フラフラの状態で営業が始まるとか、生活リズムはよくなかったかもしれない。でも、努力をした甲斐があってカットは上手くなった。先輩に無理言って出させてもらったカットコンテストで作品が入賞したことで、勘違いして有頂天になったこともありました。

 

世界で活躍するアーティストの勧めでニューヨークへ

 

 

2年で技術者になり、上手くもないのに、なんとなく責任のあるポジションになったものの、自分としては技術者としてもっと勉強していきたいと思っていたんですよね。僕は学生時代、勉強でも運動でも1位になったことがありませんでした。だからこそ、美容師として1番になりたかった。そこで、地域密着型のサロンから表参道のサロンに転職し、一流の技術を学びたいと思いました。

 

カット技術を尊敬していた美容師が独立するという噂を嗅ぎつけて「ぜひ入りたい」と応募。そこで2年間、ベーシックを学びデビューしたものの集客に苦労して…。この先、どうしようかなと思っていたタイミングで、親しくさせていただいていたヘアメイクアップアーティストの故)田中親さんから、「海外での仕事に興味があるようなら紹介するよ」と言っていただいて。そこから2年間、ニューヨークのヘアサロンで仕事をしました。

 

 

僕が勤めていたニューヨークのサロンは教育もあまりないし、高級サロンでもなかったんですが、プロ意識が強く養われる環境でした。というのも、プロとして支持される美容師にならないとどうにもならないんですよね。誰も助けてくれない。英語もまともに話せないレベルからスタートしましたが2年間でフリーのお客さまともなんとか話せるようになり、サロンの上位クラスの売上をあげられるようになりました。

 

>「シザーズリーグ」の誘いを断ったのが運の尽き

 

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