本気で「辞めたい」と思った僕を救ってくれた尊敬する人の言葉 ―ANTI CHOさんの働く理由

本気で「辞めたい」と思った僕を救ってくれた尊敬する人の言葉 ―ANTI CHOさんの働く理由

 

 

次世代のサロンリーダーを期待される若手スタイリストに聞く「このサロンで働く理由」シリーズ。今回は、「ANTI」のスタイリストCHOさんを訪ねました。

 

さまざまなパーマの薬剤や円すいロッドを開発し、パーマの神さまとも呼ばれる巨匠・小松利幸氏が率いる老舗の人気サロン「ANTI」。アシスタント時代から小松さんにつき、さまざまな経験を積んできたCHOさんですが、一度だけ辞めたいと思ったことがあったそう。スタイリストデビュー前にCHOさんが抱えた悩みを救った言葉とは?

 


 

美大か美容師かで悩んでいた僕を母が後押ししてくれた

 

 

美容師になろうと決めたのは、中学3年生のとき。卒業文集にも「美容師になる」と書いてあります。しかし、造形が好きだったこともあり、当時は美大に行くか、美容師になるかすごく迷いました。そんなときに母が「美容師も造形なんだから、美容師になって美術は趣味でやったら?」と言ってくれて「確かに美容師も造形だな」と思い、美容師になることを決めたんです。また、母が昔、美容学校に通っていたことや、いとこが美容師や美容部員だったことなど、「美容」を身近に感じていた点も影響しているかもしれません。

 

高校進学の際は、「髪を染めたり、パーマをかけたりできる」、「朝が苦手だから、家から近い」ことを基準に高校を探したら、偏差値の高い進学校しかなくて。そのときが一番、勉強したかもしれません(笑)。高校に入ってからは先生にも「美容師になる」と言っていました。学級委員の委員長をやっているのに金髪にしたりと、目立つ学生だったと思います。母が美容学生だったので、家にハサミなどが全部あったので、自分で髪を切ったり、友だちの髪を切ってあげたりしていました。

 

専門学校は日本美容理容専門学校(以下:日美)です。その当時は、『CHOKi CHOKi』の美容師スナップがすごく人気で、「美容師=かっこいい」というイメージが強かった時期。日美も専門学校なのに受験で不合格者が出るほど人気で、仲間は個性が強い人ばかりでした。

 

>合格してから知ったよさ。一人ひとりの個性が輝くANTIに魅力を感じて

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