批判も受けたし、屈辱的な思いもした。それでもクリエイティブ人生を貫いた理由―ヘアメイクアーティスト・かあこさんの哲学

目立ちたかったのはコンプレックスがあったから。改名&転職でコンプレックス打破

 

 

私が「目立ちたい、人に私を覚えてもらいたい」と思っていたのは、コンプレックスからはじまっているんです。姉妹は、何をはじめるにも姉が先になるので、妹であることの劣等感は常にありました。一緒に働いているときは、お店で「妹さん」と呼ばれる度、「私の名前は“妹”じゃない!」と悔しい思いをすることも。ずっと、「自分の名前で勝負したい」という思いがあったんです。

 

「かあこ」という名前で活動しているのも、人に覚えてもらうため。名づけてくれた両親には申し訳ないのですが、コンテストに出るようになる前から、本名だと名前にインパクトがないとわかっていたので、「かあこ」で活動していました。「か」「あ」「こ」はいずれも50音表の最初の方にあるので、子どもにだって覚えてもらいやすいんです。

 

姉の店に勤めた期間は7年半。高校の後輩たちが大勢通ってくれていたので、いつも友だちが遊びにきているような感覚で、そのアットホームなムードが大好きでした。でも「ここに居続けたら、私は一生姉を超えられない」という焦りが、転職へと背中を押しました。

 

転職先は、店内独立をした「SOHO」です。私も出ていたコンテストでずっとグランプリを獲っていた方がいたので、一番になりたい私は、「姉の店以外に好きになれそうなところは、ここしかない」と思いました。「スタイリストからはじめていい」とお許しをいただいたので、26才で姉の店を卒業しました。

 

転職直後は精神的にも辛い時期が続きました。環境がガラリと変わり、今までのやり方がまったく通用しなくなってしまったんです。そんなとき、気持ちを支えてくれていたのがコンテストへの参加意欲でした。コンテストで自分のやりたいことを表現し、最高のパフォーマンスを見せ、1位を獲る。最初は目立ちたいという理由だったコンテストが、いつのまにか自分のモチベーションの源になっていました。

 

常に新鮮なスタイルを提案し続けられるパフォーマーであれば、周囲も納得すると信じる

 

 

コンテストに挑むとき大切にしているのは、「絶対1番を獲ってやる」というひたむきな気持ちと、根気と、負けず嫌いの精神です。コンテストで受賞するための方法はどんなに出てもわからない。私にあるのは、きれいな物を作りたいという思いだけ。

 

43歳になった今も、コンテストには挑戦し続けています。ありがたいことに、審査員をさせていただくお仕事も増えてきました。

 

私がコンテストに出続ける理由は、自分自身が作品を作り続けていないと、クリエイションの鮮度も狂ってくるし、アドバイスを求められても説得力のない回答になってしまうから。オファーをいただく度に「受けていいのかな…」と迷うことも多いですが、審査員として求められているのは、私自身がコンテスターであるからだと思っています。何より、私が過去に勉強を教えてもらいたいと思った先輩方も、ご自身が表現を続けている方ばかり。出場者からしても表現を続けている人の意見を聞きたいと思うはずです。

 

自分がコンテストをやめるときは、セミナー活動も審査員のお仕事も全部やめるとき。そう腹をくくって携わっています。これは、サロンで一緒に働く後輩たちへの示しでもあります。「SOHO」に月10回ほどしか出勤しない私を、煙たく思っているスタッフもいるかもしれません。でも「かあこさんって、お店に帰れば、いつもいいデザインを上げてくるよね」と思われる存在でいたいんです。外部でスタッフの知らない仕事をさせてもらっているぶん、お店に帰ったときに新鮮なものを作らないとスタッフたちに面子が立ちません。どんなに通う日数が限られたとしても、月に100人は手がけるようにしているのも、彼らがいつも見ている数字こそ“お客さまの支持を得ている”証拠になるからです。

 

彼らの“現場”であるお店で、常に新鮮な作品やパフォーマンスを見せられるかどうかが、私の本当の実力。それにセミナーや作品作りのアイデアはサロンワークをしているからこそ思い浮かぶんです。サロンワークもコンテスト参加も、お互いにインスピレーションを与え合うから、どちらもなくてはならない仕事。人からするとストイックと思われるかもしれませんが、それが私の生き様なんです。

 

>”社内独立”で批判も受けた。それでもブレなかったかあこさんの「軸」とは

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