美容師を夢と決めたあの頃の僕へ ~ 桜井章生さん、塚本繁さん、豊田永秀さん、VANさん、MARBOHさんの美容師の原点

 K-two・塚本繁さん

美容師になったこと、なってからのこと。人生の選択に間違いはなかった

 

image1

右が塚本さん。文化祭のときの1枚

 

-この写真の頃、つまり美容師を夢と決めたのはいつのことですか?

 

17歳、高校生の頃です。今から27年も前ですね。

 

-この頃、ご自分のヘアスタイルにどんなこだわりを持っていましたか?

 

この時代はサイド・バックは刈り上げ、トップは長さを残してさらさらのセンター分けのヘアスタイル。吉田栄作ばりのサラサラ、センター分けヘアにするために、毎朝クセ毛をストレートアイロンで伸ばしているような高校生でした。サイドの刈り上げは、1週間に1回自分でバリカンでカットしていました。

 

-美容師を志した理由やきっかけ、当時の気持ちを教えてください。

 

頭の骨格がゼッペキ、ハチはりだったり、クセ毛だったりと、自分自身に悩みが多く、お金もないので中学生の頃から自分で髪を切ったり、ストレートパーマをかけたりしていました。そんなことをやっているうちに美容に興味が出てきて、高校生の頃に美容の道に進もうと決めました。

 

-写真の当時、夢中になっていたことはなんですか?

 

部活のバレーボールと、バンド活動。他にミシンで服を縫ったり、オリジナルに改造したりすることにはまっていました。

 

-美容師を志した当時の選択に間違いはなかったですか?

 

美容師になるのを「夢」と思ったことはないですが、美容師になってからの歩んできた道に間違いはなかったとは思います。

 

28歳の頃に東京で勝負したいと思い、『K-two』で東京進出し、ガムシャラに何事にもチャレンジして突っ走ってきたことは、人生においての選択として間違っていなかったと思っています。良い時代、良い人々に出会えたことは大きかったです。

 

-美容師を夢と決めたあの頃の自分にメッセージを送るとしたら?

 

ほとんどが大学へと進学する中、

専門学校に行くという選択、それも美容師になるというのは

周りから見たらかなり変な存在だったはず。

生徒600人いた学年で美容師になった男は自分だけ。

 

肩身の狭い思いをしたし、

家族の反対も大きかったよな。

 

まぁ結果論にはなるけれど、その変な選択を貫いたおかげで

胸を張れる今の自分がここにいるんだと思うよ。

 

目指すべき目標に進んで良かったよ。

それもB型頑固な性格だからこそ。

これからもその性格のまま突っ走ってどんどん行こうぜ。

 

塚本さん1
プロフィール
K-two
代表/塚本 繁(つかもと しげる)

1973年生まれ。大阪府出身。ル・トーア東亜美容専門学校卒業。兵庫県内のサロンに勤務後、2年間渡英。その後、『K-two』入社。現在、関西、東京で12サロンを展開する同サロンの代表を務める。

 

>STRAMA・豊田永秀(とよだながひで)さん
街にすてきなヘアデザインがあふれることを夢見てた

 

Related Contents 関連コンテンツ

Guidance 転職ガイド

Ranking ランキング