カリスマブーム衰退後に新たな手法で成功。美容業界の風雲児、鈴木勝裕の美容師人生

2016.01.08

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1987年に24歳という若さで独立し、地元での多店舗経営に成功。さらに自身の「STREET」ブランドをひっさげ原宿に進出し、カリスマ美容師ブームを牽引した鈴木勝裕さん。

 

有名サロンの無免許問題に端を発したカリスマブームの衰退を経験しながらも、現在は美的感覚集団美髪堂株式会社代表取締役社長として複合サロン事業を展開し、その優れた手腕から「美容業界の風雲児」とも呼ばれています。

 

そこで今回は、独立からカリスマブームの到来、そしてブーム衰退後に生まれた新たな経営スタイルにいたるまで、鈴木さんの美容師人生に迫ります。

 


 

免許取得後1年7ヶ月という異例のスピードで独立

 

-24歳で独立されるまでの経緯をお聞かせください。

 

幼いころから手先が器用で絵を描いたり物を作ったりすることが好きだったので、高校卒業後は「手に職を」と、まず理容学校に通いました。

 

ただ、アイデアを活かしたり創造することが好きな僕にとって、ルールの決まった理容は窮屈でもあったんです。そんななか、有名な美容師が路面で手際よくヘアスタイルを作り上げるヘアショーをやっているのを見かけたときに、「自分がやりたいのは美容だ」と思って、山野美容専門学校に入学しました。

 

-「店を誰よりも早く持つ」という目標はいつから意識していたのでしょうか?

 

山野美容専門学校に入学した当初から意識していましたが、より具体的に考えるようになったのは、入間市駅前の個人店に就職したときです。

 

当時は「店長の成績を超えたら店を出す」と決めて、日々自分と店長のリターン率を比べていたのですが、就職して3ヶ月後には店長の成績を超えられたので、そこから半年ほど働いて実際に独立し、「STREET」を出店しました。

 

美容師免許を取って1年7ヶ月で独立したので、当時としては驚異的なスピードだったと思います。

 

原宿

 

-多店舗経営に成功した秘訣をお聞かせください。

 

資本政策や経営戦略についても一生懸命学んだのですが、会社の通信簿である決算書がいい成績になるよう、売り上げが上がっても自分の豊かさは我慢して、資本金を積んでいくようにしたのが成功した秘訣だったと思います。そうして資本が増えたことで融資の窓口でお金を借りやすくなったので、結果6店舗まで広げることができました。

 

原宿

 

「どうせ出すなら」と競合店がひしめくエリアに出店

 

-原宿への進出を決めたきっかけは何だったのでしょうか。

 

当時は人口の多い団塊ジュニア世代がちょうど20代前半から半ばの歳だったので、女性客の増加によるカリスマブームがくると感じていたんです。ファッション性のある原宿で名が売れればスタッフも集まるし、テレビで取り上げられれば会社としても強くなれると考え、原宿進出を決めました。

 

-原宿に進出後、どのようにカリスマブームを迎えたのでしょうか?

 

まず原宿に事務所を構えて周辺の美容室について位置や特徴、曜日ごとの動員数など徹底的にリサーチし、「どうせ出すなら」と競合店がひしめくエリアに出店をしました。そして出店後1年は大赤字が続いたのですが、「もう撤退の時期なのかな」と思ったころにAERAや日経トレンディ、さらにテレビの取材依頼が立て続いて入ったんです。

 

テレビ取材はカリスマブームを紹介するドキュメンタリーの撮影で、当初は「埼玉からきた挑戦者」のような取り上げられ方をされる予定だったのですが、それではサロンが格好悪く見えると思ったので、「1日の来店客が4、5人ほどのサロンが、街で100人をハントして1日で全員のカットをする」というドラマチックなシナリオをプロデューサーに申し出て、実現させたんです。

 

原宿

 

放送後は反響のあまり電話が鳴り止まなくなり、採用審査にも1度の面接で800人くらい応募者がきてくれるようになりました。異常な状態だと理解してはいましたが、3、4年はそういうことが続きました。

 

> カリスマブームの衰退後、一切のメディア露出を辞めた

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