“いちごの乱”を巻き起こす人気の秘密を大解剖。「好き」と「直感」で突き抜けるICHIGO流アイビューティへの挑戦と、”見られる仕事”の最適解
幼少期の壮絶な体験を経て、日本へ

――ICHIGOさんは、幼少時代にさまざまなレア経験をされていると聞きました。その生い立ちも少し聞かせてください。
ICHIGO:私は中国の大連で、中国人の両親の元に生まれ育ったんです。最初は普通の暮らしをしていたのですが、途中から父が全財産を取られてしまって。そこから童話『三匹のこぶた』に出てくるような、レンガを積み重ねた小屋のような家に住んでいました。夏は猛暑、冬は極寒の地域です。朝は井戸の水くみからスタートする生活で、洗濯機も冷蔵庫も電話もなくて。洗濯は近くの川に行って、洗濯板になる石から探すというルーティン(笑)。洗ったあとに水分を吸った服を持ち帰るのが、これまためちゃくちゃ重くて…。そんな生活をしばらくしてましたね。
森越:日本でこんな話、聞いたことあります? めちゃくちゃたくましいですよね。そのあとも、さらに驚きの話が続くじゃないですか。

ICHIGO:来日時の話ですね(笑)。母が日本に住んでいる親戚の家に子育てを手伝いに行ったんですけど、そこからなかなか帰ってこなくて。父のすすめで私も日本に行くことになったんです。空港に着いたら新しいお父さんがいて、私の弟が産まれていたんです(笑)。母から「あなたも今日から日本で暮らします」と言われて、え?みたいな。つまり、両親はすでに離婚していたんですよ。
森越:いや、これ…人生の転機としてもドラマチック過ぎますよね。
ICHIGO:でも私、すぐに新しいお父さんを受け入れて、今もすごく仲良しなんです(笑)。
森越:ものすごい適応力。本当にサバイバル力がすごいです。美容師という仕事に繋がったのは、お母さんの影響ですか?

ICHIGO:母というよりは、それこそ貧乏になる前に住んでいたマンションの1Fが美容室だったんですね。学校の帰り道にその店に寄ると、お姉さんが簡単なメイクしてくれたんです。アイラインをちょっとだけ引いてくれたり、アイシャドウを少しのせてくれたり。それが楽しくて、その頃から「美容師になりたい」と思ってました。友達の髪も見よう見まねで切ってましたし、高校生の頃は毎日髪を巻いてメイクして。同級生からは、”髪の子”って呼ばれてたんですよ(笑)。

アイリスト10年の集大成に上梓。出版記念パーティにて