Voicyスペシャル対談 LECO代表 内田聡一郎×メディアアーティスト 市原えつこ (前編) 世の中を変える新技術と日本の風習を組み合わせたら世界が振り向いた

「市原さんってどんなモチベーションで作品をつくるの?」(内田)

 

 

内田:作品を世の中に出すようになったのはいつからですか。

 

市原:元々は会社員で、IT企業のデザイナーとして普通に働いていたんです。だから副業というか、変な趣味として会社の同僚や上司には隠しながらやっていたんですよ。それがだんだん忙しくなってきて5年前に会社を辞めて、今はアーティスト一本でやっています。

 

内田:じゃあ、初期の作品にはどんなものがあるの。

 

市原:例えば「セクハラ・インターフェイス」っていう作品なんですけれど。

 

内田:え、なんですかそれ。

 

男根崇拝の文化への興味から生まれた、触ると大根が喘ぐシステム「セクハラ・インターフェイス」

 

市原:大根を人が触ったら、電位をキャッチして大根がめちゃくちゃ喘ぐっていう、ただそれだけの作品です。それを作ったのが大学生のころで、会社に入ってからもコソコソつくっていたっていう。

 

内田:なんでそういうものをつくろうと思ったの(笑)。

 

市原:日本の地方の神社などにいくと、男根崇拝の文化とかあるじゃないですか。不思議すぎて、なんでなんだろうと自分なりに調べると、昔の日本はそういう性的なものに神聖さや生命力を感じて、崇拝する文化があったようで。「よくわからないけどなんかヤベェ、これをテーマに何かやってみたい」と思ってつくりました。

 

 

内田:なるほどね。メディアアーティストってどういうモチベーションで作品をつくっているのか聞いてみたいんですよね。ビジネス目的とはちょっと違うじゃないですか。

 

市原:「やらないと気持ちが悪い」という感じですね。「デジタルシャーマン・プロジェクト」は祖母が亡くなったときに、葬儀や宗教の人の心を沈める作用に興味を持って、研究したくなったんですね。

 

内田:幼少期から好奇心強めの子どもだったの?

 

市原:子どもの頃は絵を描くのが好きで、漫画家に憧れていましたね。

 

内田:美術を学んできたわけじゃないんだ。

 

市原:美大などに行きたい気持ちはありましたが、アーティストがどうやって食べているのかわからなかったので、ギャンブルはできないなと思いまして。

 

内田:意外と現実的なんだ。

 

市原:基本的には石橋を叩いて渡るタイプなので。

 

 

内田:でも表現したい気持ちはあったんだ。

 

市原:そうです。高校生のころに、著名なアートディレクターの方の弟子入り的にお手伝いをしたことがありまして。その時にクリエイティブ業界ってなかなか大変な労働環境であることを実感してしまい……一見華やかな世界に見えますが。

 

内田:ブラックだったんだ。

 

市原:まあ、グレーぐらいだったんですけれど。今思えばかなり気を使って下さってましたし、パワハラとかがあったわけじゃないけど、気力・体力的にも本当に大変な仕事なんだなということがわかりました。

 

内田:じゃあ、大学卒業して普通に就職しようと思ったんだ。

 

市原:そうです。スーツを着て就職活動しました。氷河期だったこともあり、100社近くエントリーしました。

 

内田:市原さんの作品を見て「この人どういう神経なんだろうな」って思うわけですよ。現代美術を見ているときも本当に理解不能というか。ただ、それがアートに昇華される瞬間ってすごいなって思っていて。

 

市原:昇華されなかったらただの頭おかしい人になっちゃいますからね。

 

内田:「デジタルシャーマン」なんかは意味合いが強いよね。

 

市原:新しい弔い方、新しい死のあり方を考えたかったんですよね。

 

>「最初の頃は作品を見てドン引き、心配されていましたね」(市原)

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