最高峰のヘッドスパを世界へ!ヘッドスパアーティスト・山﨑達也のZUDO(頭道)とは。芦屋から東京に拠点を変え、さらなる高みを目指す!

 

不器用な自分が、唯一得意だったこと

 

――スタイリストデビューまでは、どんなふうに過ごしていたんですか?

 

5年かかりましたが、なんとかデビューしました。僕は「こうなりたい」という理想像はしっかりあったんですが、もともと不器用で要領も悪く、僕のワインディングは、全スタッフがズッコけるくらい下手だったんです(笑)。パーマを巻けば豆ロットがぷるんと外れてしまうし、いわゆる典型的な鈍臭いアシスタントでした。ただ、シャンプーだけはとにかく好きだったんですよ。それだけは唯一、自信をもってお客さまにさせていただいたので、よくシャンプー指名も受けていました。





手荒れは最初の1年目はありましたが、それ以降は全くなくなりましたね。率先してシャンプーブースに入ってました。それで思い始めたのが、「シャンプーだけでご飯を食べれるんじゃ…?」ということです。業界に”ヘッドスパ”という言葉が生まれてからは、ますますその思いが強くなっていきました。そんなときに、それこそ雑誌『リクエストQJ』の記事を見たんですよ。大女優からシャンプー指名をもらっている美容師の記事で、「シャンプーも極めたらすごいことになる」みたいな内容だったんですね。「頭皮のかゆい場所は温度が1度高い」みたいなことも書かれていて(笑)、それを体感したくて毎日シャンプーしていたら、あるとき「これだ!」という感覚になって。そこからシャンプーがますます楽しくなり、腕が上がってきて自信も高まってきたんです。





――そこから、ヘッドスパ専門店への構想が膨らんでいったんですね。完全に振り切ることを決めたのは、どれくらいの時期でした?

 

スタイリストデビューしてから、3年は普通にハサミを握っていました。シャンプーに振り切る決め手になったのは、当時参加していたPEEK-A-BOOさんをはじめとする、カットの巨匠クラスのセミナーです。僕は業界でトップクラスに行きたいと夢見ていたんですが、彼らの素晴らしいカット技術を見たときに、自分はどう頑張ってもあの頂上には辿り着けないと思ったんですね。あそこは、とんでもないレベルだと。なれないものを追いかけたり、ましてや真似するのは違うなと思ったんですよ。そのとき30歳目前でしたが、そこから僕自身がやっていて楽しいこと、それによって人がハッピーになり、業界で誰もやってないことをやろうと考えた結果、ヘッドスパ専門店の開業を思いつきました。

 

その頃はまだ男性美容師でヘッドスパを専門に扱う店はなかったので、これを新ジャンルで始めたら面白いんじゃないかなと。周りに相談したら否定的な意見が大半でしたが、一人だけ、ディーラーの社長が「それ面白いよ。応援する」と言ってくれたんですね。一人でも肯定してくれる人がいるなら可能性はあるなと思ったので、芦屋で始めることにしました。





>お客さま急増の背景にある、”気づき”

 

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