2019年、頂点を極めたヘアサロンから飛び出した“武闘派美容師”の生き方−LATTE/河上 誠一郎さん−

 

ホットペッパービューティーのサロンランキング全国1位を獲得したALBUM SHINJUKUから、新進気鋭のヘアサロンLATTEに電撃移籍をした河上 誠一郎(かわかみ せいいちろう)さん。現在はプロデューサーとしてLATTEを引っ張っています。ALBUM SHINJUKUの店長を務め、インフルエンサーとしても存在感を発揮していた河上さんがどうして転職をしたのか、美容専門学校時代からの歩みを踏まえて伺いました。成り上がりたい男性美容師必見のインタビューです。

 


 

「君、センスがいいね」の一言がきっかけで美容師に

 

 

物心がついた頃から僕は、器械体操一色の暮らしをしていました。将来の夢はオリンピック出場。ギリギリのところで夢を果たせず、体操以外の道も考えるようになりました。

 

そんな僕が山野美容専門学校に通うことになったきっかけは、仲の良かったサッカー部の友達が、「説明会があるから一緒に行こう」と誘ってくれたこと。最初は断ったんですが、「誰も一緒に行く人がいない」というからついていくことに。そこで、カットの体験をさせてもらったんですが、「君、センスがいいね」と褒められまして。「もしかしたら、美容師いけるのかも」って思ったんですよね。

 

地元の北海道から上京し、山野美容専門学校に通い始めた頃は、それまで髪を伸ばせなかった反動もあり、木村拓哉さんへの憧れもあって、ロン毛にしていました。全然似合わないから「キモロン毛」って言われたりしていて。自分でも気持ち悪いなって思っていたんですけれど(笑)。

 

 

ただ、学校は真面目に通っていましたよ。遅刻や欠席をしたことはありません。高校まで体操しかしてこなかったから彼女ができたこともありませんでしたが、専門学校で初めての彼女ができました。それが1番の思い出かもしれないですね。

 

一番努力せずに最短でデビューするのがカッコいいと思っていた

 

 

学校卒業後、最初に勤めたサロンは、HAIR DIMENSIONです。絶対に有名になりたいという気持ちはありましたが、正直、東京の美容室に詳しくありませんでした。担当の先生に「HAIR DIMENSIONっぽい雰囲気だね」と言われたから「じゃあ、そこに行きます」という感じで、さほど深く考えていませんでした。

 

今も覚えているんですが、面接のときにちょっとした言い合いになったんです。当時から僕は、毎週1回はキックボクシングのジムに通っていたのですが、面接を担当していた方から「ケガの心配もあるし、美容師になったらキックボクシングはやめるよね?」と言われたんです。

 

それに対し、「中途半端な気持ちでやっていないので、怪我しないように気をつけて、頑張ります」と言いました。そのやりとりを見ていた人が「信念のあるやつ」と思ってくれたようで、採用に結びついたらしいです。

 

 

器械体操をやっていたから、自分のイメージ通りに体を動かすことが得意です。手先も器用だったから、美容師の技術を習得するために苦労したことはありません。練習もそれほどしていなかったし、努力せずに結果を出したほうがかっこいいと思っていたんですよね。ボブの試験があったら、みんな1ヶ月前くらいから練習していました。

 

一方で、僕はテスト当日に、課題内容を確認し、その場で覚えて切る。なのに僕が受かって、練習していた同期が落ちるなんてこともよくありました。とにかく、一番努力せずに、誰よりも早くデビューするのがカッコいいと思っていたんですよね。

 

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