カリスマ美容師の先駆者artifata CHIKAさんのびよう道〜“頂点”を追い続けた先で気づいた、大切なもの〜
飛び込んだ海外で気づいた、大切なこと

海外で活動していたのは、およそ3年ほど。ファッションショーのヘアメイクからスタートし、「VOGUE」をはじめとする雑誌の仕事、さらにはハリウッド女優のヘアメイクまで担当することができました。3年という短期間でそこまで辿り着くのは、決して簡単なことではありません。もちろん、人とのご縁に恵まれた部分も大きいですが、何より評価されたのは、それまで積み重ねてきたキャリアでした。表参道でサロンを経営し、自分を象徴する作品やヘアスタイルがある。その“積み重ね”があったからこそ、大きな仕事を任せてもらえたのだと思います。これまで自分が時間をかけて、時に失敗しながらも日本でやってきたことは間違っていなかったのだと、そこで気づくことができたんです。
世界に出たことで、日本の技術はどこに行っても通用するし、むしろ求められているという実感も得ました。特に記憶に残っている現場があります。あるファッションショーの現場で、時間に遅れてきたモデルがいたのですが、誰も担当したがらなかったんです。ランウェイまで時間がなく、間に合わないと判断されてしまって。結果的にそのモデルが僕のところに回ってきたのですが、「やり切れる」という自信がありましたし、実際に時間内で仕上げることができました。すると次の現場から、他のヘアスタイリストについていたアシスタントが、自分のもとにつくようになったんです。「あなたの技術を見たい」と言って。現場に日本人は僕1人で、勝手に“日本代表”のような気持ちでいたので、その出来事はとても誇らしく、強く印象に残っています。

そうして海外でも経験を重ねていきましたが、最終的には日本に帰る決断をしました。きっかけは、共に働いていた各国のヘアスタイリストたちの言葉です。
「CHIKAはなぜ、自分のサロンで成功しているのに、今さら海外に来ているの?」
僕は、海外でファッションショーのヘアメイクを手がけ、名だたるセレブリティを担当することこそが“頂点”だと思っていました。でも、彼らの目指していたのは、その先。ハリウッド女優を担当したあとに、自分の大切な顧客を迎えられるサロンを持つことだったんです。その言葉に、はっとさせられました。
僕はずっと、外の華やかな世界に憧れ、「もっと上があるはずだ」と信じて走り続けてきました。でも本当に大切なもの、目指すべきものは、すでに自分の足元にあったんだと――そのとき初めて見えてきたんです。

それが、45歳の頃でした。実はそれまで、この仕事が本当に自分に合っているのか、どこか確信を持ちきれていなかったんです。でも、日本で経験を重ね、海外にも出て、一通りのことをやり切ったからこそ、「自分はすでに大事な宝物を持っている」と、ようやく腑に落ちたんです。その瞬間、美容師という仕事は自分にとって天職であり、生涯をかけて向き合いたい仕事だと心から思えました。
だからこそ、改めて原点であるサロンワークに立ち戻ろうと決めました。サロンをもっと良い場所にしていきたい。「CHIKAさんに切ってほしかった」と言ってくださるお客さまのために、さらに技術を磨き続けたい。そして、人生をかけて集まってくれた若いスタッフたちが、「artifataに来てよかった」と思える場所をつくりたい。
そう強く思うようになりました。